京都史蹟散策281-1 甲子兵燹図(かっしへいせんず・禁門の変を描く巻物)を読んで観る1

本編は、京都大学帰朝資料デジタルアーカイブより京都大学「維新特別資料文庫」のコレクション・史料より甲子兵燹図 2巻の掲載です。

京都大学の内容記述には、
この図卷は元治元年七月、禁門の兵亂に際して起れる京都市街大火の情況を描寫したものである。
原畫は前川五嶺の筆であるが、本図は森寛齋の門人で後にその義子となつた森雄山の摹寫に係る。
乾坤二卷より成り、洛中の神社佛閣を初め、名蹟老舗の燒失、市中混雜の光景、復舊の状態など輕妙なる筆致を以て描出し、詳細なる詞書が添へてある。
(出典:『尊攘遺芳』) と、あります。


上巻:兵燹図

この資料は、品川弥二郎子爵の歿後、攘堂尊保存委員会から京都大学図書館・本館に寄贈されたもので、京都大学・維新特別資料文庫の名の元に、●「Free License 」二次利用自由● のものから全て、「著作権満了確認済」のものです。

写真は典拠先を明確にするため、レコードID・RB00013742の番号を付記します。
また、見やすくするために写真枠外は画像処理をしています。
* は、投稿者の付記です。

● 原資料図

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01 兵燹図
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●「Free License 」二次利用自由● の観点から、以上を再編成(画像と文章を分離)して、画像については「イメージ画像」を掲載して、再度、見てみることにします。
番号付けの( )内のものは、上述の原資料図の番号です。
(*意訳)には、読みやすくするために、句読点を適宜に入れました。



01 兵燹図
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02(01+02)
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(*意訳)
天地あり 日月有り、陰陽あり 寒暖有り、男女あり 貧福あり、
清濁あり 盛衰有り、強弱あり 動静あるは、世の中の常なり。
昔より治世 長く続けは乱世となり、乱世 治りて静世となる。
是(*これ)歳々 暦数 凡(*およそ)きまり(*決まり) ありて浅深は しらす(*知らず)。
廻り来るの 遁れかたき(*のがれ難きは)世の浮き しつみ(*沈み)なり。
御治世のありかたき(有難き)を忘れ、よき(*良き)事に思ひ奢る(*おごり)に長し、たゝ(*ただ)貧慾に心 まよひ(*迷い)、ひとは 兎もあれ(*ともあれ)、我 よかれ(*良かれ)と うか〱(*うかうか)月日を送るうち、さる嘉永7甲寅年の頃(*嘉永7年の頃)より日本国に 病気おこりけるし、今 元治元年まて(*まで)11年になる。
いよ〱(*いよいよ)やまひ(*病)つのりて(*募りて)治らす(*治らず)。
既に今 甲子年(*元治元年)7月19日朝 辰刻(*午前7時から9時頃)の京都河原町三条の上 東側に長州公の御屋敷あり、その内より、出火し、追々燃上がり大火となる。
諸人 屋根に上り、其火を見るのみ一向に馳行く者なし。

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04(05)
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(*意訳)
午の刻(*11時から13時まで)に至り丸太町辺より、又々出火する。
鉄砲大筒の音 しきりにきこへけれども、何故のことゝもわきまへず、又 下京より登り来る八幡、山崎辺に固めし諸侯の軍勢 御所辺 大事と馳登る(*馳せ登る)。
御所辺の町家は、何の思慮もなく、たゞ驚くのみ。
何一品持出る間もなく、土蔵あれども、戸をしめる間もなく、先下京さして(*まず、下京を目指して)逃来る。
南へ走る軍とあり、これを見るもの譯は知らねど 銘々に、これはたゞある事にあらずと 蔵なき者は隣家をたのみ、無理に押込 除所のやくもやかぬも(*焼くも焼かぬも)考へなし。
何方へ迯る(*逃げる)と約束もない、家内ばら く (*ばらばら)西東 危ふかりける有様なり。

05(06+07+08)【イメージ画像】
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06(08)
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(*意訳)
中立賣(*中立売)御門きわ(*際) 烏丸長者町辺より出る火、追々 下へ焼来る。
東は寺町丸太町 西は新町下立賣(*下立売)、火口いくつと数しらず。
追々 烈しく焼来る。
迯来る(*逃来る)諸人の其中に兜と具足に血刀かたげ(*かつぎ)、手おひ(*手負い)武者 かたにかゝりて迯来る(*逃来る)。
町家の病人 人におはれ(*追われ)、産婦、はらほて(*腹ぼて)、後家、娘、大家の奥方、御新造(*奥様)も、北は山端、鷹ヶ峯、上賀茂、平野、みそろ池(*深泥池(みぞろがいけ))、御室、松の尾、嵐山、東は白川、鹿ヶ谷、吉田山より真如堂、黒谷、南禅寺、粟田口、大津、坂本、唐崎 遠(*遠い)ところへ逃るもあり。

07(08+09)【イメージ画像】
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08(11+12) [結合画像]
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(*意訳)
同19日 九つ過(*午後0時過ぎ) 三條通り東へ逃る よろひ(*鎧)武者、町家の者は数知らず、祇園、圓山(*円山)、清水山 渋谷越へ、山科村、老人、子供在る者は遠き處へ行きもならず。
先づ(*まず)川東に馴染みありて、皆 夫々(それぞれ)に逃こめば、1軒の家に5軒、7軒 所持の衣類の風呂敷包み、櫃(*ひつ)におめしの入た儘(*まま)、梅千壺や、香のもの、帳面類に如来さま、位牌、過去帳、白砂糖、食さしの蒸菓子やら、不都合だらけの事どもなり。

09(10+11) 【イメージ画像】
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10(11)
(*意訳)
先(まず)廣場へと心さす。
大佛辺や東福寺、伏見、深草、稲荷山、八條、九條、西七條、島原、東寺、淀、竹田、此あたりには、固めの軍勢大筒、小筒 音たてゝ、行もゆかれぬ所もあり。
火勢はいよ 〱(*いよいよ)烈しくなり、西は堀川、東は寺町、其間は一面の火となり、19日 夜に入て、防ぐべく手だてもなく、火は燃え、次第〱(*次第次第)寝所もなく、寝ても居られず、其夜は野中、山中にて市中の火勢 あれ 〱(*あれあれ)と泣ばかりなる有様なり。

11(12+13) 【イメージ画像】
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12(13+14) 【イメージ画像】
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13(14+15)
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(*意訳)
19日 夜は様々の難渋多し。
病人を連行く道中にて、死せしもの多く、又は途中にて出産し、母親娘をせをふて(*背負うて)、赤子を前だれにつゝみ、松原通りを西へ逃げ、翌日 両人とも死す。
五條烏丸住し人、16歳になる倅(*せがれ)病なりしを布團(*布団)に包み、妹の手を引き、土蔵なければ、僅かな(*わずかな)ものを風呂敷に包み、松原の西 寺町宿坊を頼み逃込み、病人を介抱せしに、此時(*このとき)俄に(にわかに・*急に)御大名の下宿申付られ、町人ども急に立退べき由、こゝにも居(*お)られず、又々病人を背負ひ、焼場の北へ廻り、川東 二條新地しるべの方へ行て、かの病人を はっとおろせば 息絶たり。
五條坂に住し人 70餘の老人、病気になりしが、19日夜近辺 皆々東山へ逃行き、彼(*かの)病人、子息某(*なにがし)、孫 両人 戸板に乗せ、東へさして持行、鳥辺山通妙寺 宿坊なれば、是(*これ)へ持込しに爰(*ここ)にて息たへたり。
直に(*ただちに)葬らんと思へども、僧も男も逃行、棺箱に入るも箱がなし、漸々(*ようやく)地を掘り、半分埋めて土をかぶせ逃行、僧を無理にとゞめ、布施と廻向と引かへに、左右へ逃るいそがしさ、その外(*ほか)是(*これ)に似よりし有様は、かぞぶる(*かぞえる)に いとま(*暇)なし。

また こゝかしこに死する人多く、各 頭なし。
何国の人ともしれず、ひとつに集めて東山に葬る。

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(*意訳)
二條御幸町辺に住し人の嫁 出産して10日目なりしが、両人とも長持に入て、やう〱(*ようよう)寺町天神境内え持行き、蓋(*ふた)をしめて、わがみの家は帰り、少しの物を持つせんとせしに、はや火の中なれば せん方なく、寺町へ行かんとせしに行かれず、三條通を東へ廻り、四條通りも火にて行れず、長持ありし両人 其儘(*そのまま)死す。
其外(*その他)老人 子供のうせしもの(*失せし者)万壽寺高倉某(*なにがし)のこども12歳なるが 其夜より行衛しれず(*行方知れず)。

翌20日 東は寺町、西は堀川、其間 悉く(*ことごとく)大火、追々 南へ六角堂、因幡薬師、四條、松原、五條、西洛 天龍寺 出火、下山崎、天王寺 或いは八幡に火の手 上がれば、洛外 山々へ逃げ行し人々、また この辺もいられぬと、運び出せし品々も皆 其儘に(*そのままに)捨置て又 遠こちへ逃出す。
20日 八つ時 東本願寺へ火うつる。
今熊権現堂にも火 見ゆる。  


15 (16+17) 【イメージ画像】
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16(17+18)[結合画像]
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*参考資料 : 維新史跡会 編 維新史蹟図説 京都の巻
東山書房(大正13)国立国会図書館所蔵のものより、その他。


京都史蹟散策281-2 甲子兵燹図(かっしへいせんず・禁門の変を描く巻物)を読んで観る 2 に続きます。






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