京都史蹟散策277  竜門橋(歌詰橋)を渡って

京都史蹟散策277  竜門橋(歌詰橋)を渡って

西行、返歌に詰まる。
旧街道にあった酒屋付近

【交通】JR 嵯峨嵐山
【位置】右京区嵯峨天龍寺北造路町

この地は、JR 嵯峨嵐山駅から天龍寺へ行く途中にある。

竜門橋
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駒札によると・・・
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竜門橋(歌詰橋)

つぼの 内にほひし
花はうつろひて
霞ぞ残る春のしるしに

歌人西行【1】がこの橋のたもとにあった酒屋で歌を読みあい、この歌の返歌に詰まったとの伝説がある。
歌詰橋は、それに因んで(ちなんで)付けられた名。
後に天龍寺ができ、その門前に当たるところから、竜門橋と呼ぶようになったといわれる。

また、橋の下を流れる瀬戸川も、かつては芹川といい、昔はこのあたりに芹が繁殖していたらしい。
小倉山の麓を水源に臨川寺(りんせんじ)の東で大堰川(おおいがわ)にそそぐ。

瀬戸川(かつての芹川)
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【1】 西行は、秀郷流武家藤原氏の出。
元永元年(1118年)誕生。
23歳で出家して、しばしば諸国を巡る漂泊の旅に出て多くの和歌を残した。
出家直後は鞍馬山などの京都北麓に隠棲。
晩年は、河内国・弘川寺に庵居し、入寂。
享年73。
結んだ庵としては、京都・皆如庵(富岡鉄斎らの再建)、奈良・吉野山、西行庵跡が有名。

吉野山、西行庵跡
クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下で 利用可のものより。
ライセンスされているものより。
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幕末、高杉晋作は、

西へ行く人を慕うて東行く
我が心をば神や知るらむ
・・・と歌う。

西へ行くは、西行のこと。
東行くは、晋作のこと。
そして、東行と号した。
何とも意味深な歌である。

ちなみに、中山道を南へ行くと、滋賀県犬上郡豊郷町と滋賀県愛知郡愛荘町市の境に宇曽川がある。
此処にも、同名の歌詰橋(うたづめばし)が架かる。
940年、藤原秀郷が、討ち取った平将門の首に追いかけられる。
で、その首に歌を一首というと、その返歌に詰まり、橋上に落ちたという由来の橋である。
こちらの歌詰橋も、かなり知られる。

歌詰橋 昭和30年代
昭和40年からおこなわれた宇曽川全面改修以前の歌詰橋の姿。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下で 利用可のものより。
ライセンスされているものより。

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この編、了。


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