京都史蹟散策276 夏目漱石の句碑

京都史蹟散策276 夏目漱石の句碑


京都史蹟散策276 夏目漱石の句碑

【交通】京阪電鉄・京阪三条
【位置】御池大橋、西詰

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駒札によると・・・

 木屋町に宿をとりて川向の御多佳さんに
春の川を 隔てゝ 男女哉   
       漱石

句碑は昭和41年(1966) 11月、「漱石会」が明治の文豪夏目漱石(1867~1916)の生誕百年を記念して、句にゆかりの現地に建てた。

漱石は、生涯、四度にわたって京都を訪れた。
最初は明治25年(1892)7月、友人で俳人の正岡子規とともに。
二度目は明治40年(1907)春、入社した朝日新聞に『虞美人草(ぐびじんそう)』を連載するためで、三度目は二年後の秋、中国東北部への旅の帰路であり、四度目は大正4年(1915)春、随筆『硝子戸の中(うち)』を書き上げた直後であった。
 

このとき、漱石は、画家津田青楓(せいふう)のすすめで木屋町御池の旅館「北大嘉(きたのたいが)」に宿泊、祇園の「大友(だいとも)」の女将 磯田多佳女(いそだ たかじょ)と交友をもつが、ある日、二人の間に小さな行き違いが起こる。
漱石は、木屋町の宿から鴨川をへだてた祇園の多佳女を遠く思いながら発句を送った。
句碑にある句である。

この銘板は、平成19年(2007)10月、京都での漱石を顕彰する「京都漱石の會(かい)」
(代表・丹治(たんじ)伊津子)が発足したのを機に建てた。
       
   平成20年(2008)4月
       京都漱石の會
       京 都 市

「京都漱石の會」は、京都における漱石研究のサロンとでも云えるところである。
現在、ブログ 「夏目漱石サロン 京都漱石の會」などを掲載し幅広く活動している。


句碑から東、御池大橋・比叡山を見る
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句碑から西を見る
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夏目漱石誕生之地碑
東京都新宿区喜久井町(早稲田夏目阪)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下で 利用可のものより。
ライセンスされているものより。
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明治36年、イギリスから帰国後の漱石が居住した千駄木の邸宅で現在は博物館明治村に移築されている。
同上。
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夏目漱石の墓(雑司ヶ谷霊園)
同上。
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夏目漱石 著  吾輩ハ猫デアル 上、
大倉書店、明治38年、国立国会図書館所蔵(NDLイメージバンク)より
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夏目漱石 著  吾輩ハ猫デアル 中、
同上
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夏目漱石 著  吾輩ハ猫デアル 下、
同上
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「水仙」
漱石遺墨集
夏目漱石 書 並 画 (1935)
(国立国会図書館所蔵ものより)
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この編、了。

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