京都史蹟散策275 佐治城碑(遙拝所)

京都史蹟散策275 佐治城碑(遙拝所)

佐治城碑(遙拝所)
【位置】山科区勧修寺仁王堂町
【交通】地下鉄東西線・小野

この石標は佐治城の「遥拝所」である。
遥拝所(ようはい じょ)とは、遠く遥かに隔たった地から拝む所である。

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南(左側)へ、直ぐに勧修寺があり、北(右側)には、名神高速道路が見える。

【石碑】
(東側)
    佐治城碑(遙拝所)
 佐治城跡は、滋賀県甲賀郡小佐治の
丘陵にあり、佐治城は佐治氏の代々の
居城である。
佐治氏は、甲賀武士の中でもその歴史
は古い。康平五年(1062年)に
平業国が佐治郷に転封して、佐治氏を
名乗る。
   安土桃山時代、佐治一族は織田信長、
豊臣秀吉の諸国統一に積極的に協力し
てきたが、天正11年の甲賀破議で、
領地没収命令が出され、それに反対し、
本城で籠城して秀吉大軍の前に滅亡
(1585)する。

夏草に   草色の風   ふきわたる
                        発起人   神谷季与孔
佐治城は   草むらの城   泉わく
                        俳人      坪内稔典

(西側)
平成13年11月吉日建立

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上記の地より、約50キロ、東の彼方に佐治城跡がある。

(参考)
佐治城跡
【位置】滋賀県甲賀市甲賀町小佐治字城殿
【交通】最寄り駅(直線距離) 3.6km 寺庄駅、4.3km甲賀駅。

現地の案内板によると・・
佐治城跡
本城跡は、佐治氏の代々の居城である。
佐治氏は、公が武士の中でもその歴史は古く、康平5年(1062)に平業国が佐治郷に転封して佐治氏を名乗って、南北朝の争いでは、某氏、国氏父子が武勇をあげ、さらに河内守は長亨の乱で活躍している。
その後も近江守護六角氏の配下に属し、一万四千石の武将となるが、六角氏が信長に下ったため、佐治氏も信長の配下となる。
だが、天正11年の甲賀破議で、領地の没収命令がくると、反対して本城で籠城し、信長大軍の前に ついに滅亡してしまうのである。

本城跡に「マス形池」があり、水が絶えたことがないと伝えられるが、この池も城の堀跡である。
        甲賀町教育委員会
            と、ある。

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佐治城碑(遙拝所)
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   この編、了。



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