思い出の「若冲誕生」(福田美術館)その4
思い出の「若冲誕生」(福田美術館)その4
本編は、思い出の「若冲誕生」の展示。
京都・嵐山・福田美術館。
令和2年3月20日(金)から7月26日(日)に展示されたものの掲載です。
(写真撮影・可のものより)
以降、●キャプション67-88は、[若冲と同時代の画家たち」 です。
* は、投稿者の付記です。

~~~~~~~~
● キャプション・67
若冲と同時代の画家たち
個人蔵
明和5年(1768)に出版された「平安人物志」明和版(No.67)は、京都で活躍する人物の住所録で、書家や画家など職業に分けて人物の名前と住所、書名を載せています。
このなかの「画家」の部には、大西 酔月(おおにし すいげつ)、円山 応挙(まるやま おうきょ)に続いて若冲の名前が記載されています。
ここでは、若冲と同時代に活躍した画家たちのなかから、
池 大雅(いけの たいが)(1723-1776)
曽我 蕭白(そが しょうはく)(1730-1781)、
円山 応挙(まるやま おうきょ)(1733-1795),
長沢 芦雪(ながさわ ろせつ)(1754-1799)の作品を紹介します。
「平安人物志」明和版

図録(部分)より (*黄色枠)


● キャプション・68
大雅画本
個人蔵
池 大雅(いけの たいが)
約60点の図を貼った画帖で、人物、山水、花鳥など画題は様々ですが、自由でユーモアに溢れる大雅の画風を伝えています。
全体画像


● キャプション・69(初公開)
山水画報図巻
個人蔵
池 大雅
池 大雅(いけの たいが)は、日本の文人画を大成したひとりとして高く評価されています。
これは中国の画伝書などに掲載された筆法をもとにまとめた画巻。
山の頂上や崖、建物を描いて説明を加えています。
全体画像

部分画像(*右から左へ)

部分画像(*右から左へ)

部分画像(*右から左へ)


● キャプション・70(初公開)
画報図巻
制作 寛延2年(1749年)
個人蔵
池 大雅
*展示終了のため、撮影出来ず。
● キャプション・71(初公開)
遊山藍水図巻
制作 明和2年(1765年)
福田美術館
池 大雅
*展示終了のため、撮影出来ず。
● キャプション・72(初公開)
菊花図 賛/梅荘顕常
制作 宝暦8年(1785年)
福田美術館
池 大雅
*展示終了のため、撮影出来ず。

● キャプション・73(初公開)
寒山捨得図
福田美術館
池 大雅
奇行で知られた寒山(かんざん)と捨得(じっとく)を描いた作品です。
ふたりとも体の形が円形になるようにわざと描いており、大雅独特のユーモアを感じさせます。
全体画像


キャプション・74(初公開)
柳下白馬図
曽我蕭白(そが しょうはく)
福田美術館
*展示終了のため、撮影出来ず。

● キャプション・75(初公開)
群仙図
曽我蕭白(*そが しょうはく)
福田美術館
右下の人物は一度寝ると百日以上起きなかったといわれる陳搏(ちんたん)、桃の木の下に座るのは、西王母(せいおうぼ)です。
左の小屋の中に繋がれた白馬の前に立つ男は、馬の医者 馬師皇(ばしこう)の可能性があります。
全体画像

部分画像

部分画像


● キャプション・76(初公開)
雲龍図
曽我蕭白(*そが しょうはく)
福田美術館
*展示終了のため、撮影出来ず。

● キャプション・77(初公開)
寒山拾得図
曽我蕭白
福田美術館
京の商家に生まれた曽我蕭白(そが しょうはく)は、日本はもちろん中国絵画も参考にしながら、独自の画風を確立しました。
背中を丸くして並んで座る二人は、右が寒山、左が拾得(じっとく)です。
画面上には「世にならふ月と花との二人り連(ふたりづれ)があり、寒山と拾得を月と花にたとえています。
全体画像

全体画像


● キャプション・78(初公開)
唐人物押絵貼屏風
曽我蕭白
個人蔵
水墨の線や濃淡を駆使して、中国風の服を着た6人の特徴がみごとに表現されています。
また、背景の草花や服の一部に施された淡彩が、画面に彩りをそえて人物を引き立たせています。
全体画像

部分画像(*左から右へ)

部分画像(*左から右へ)

部分画像(*左から右へ)


● キャプション・79(初公開)
山水図屏風
曽我蕭白
個人蔵
*展示終了のため、撮影出来ず。

● キャプション・80(初公開)
翡翠香魚図
明和6年(1769)円山応挙
個人蔵
岩の上から1羽の翡翠(かわせみ)が水中の鮎を狙っています。
また、遠くを泳ぐ魚ほど淡彩で描くことで実景に近づけ、破綻(はたん)がない空間を
再現することに成功しています。
全体画像

部分画像

部分画像


● キャプション・81
写生雑録帖
制作 明和8-安政元年(1771-1772)
円山応挙
個人蔵
*展示終了のため、撮影出来ず。
● キャプション・82(初公開)
林和靖図
制作 安永7年(1778年)
円山応挙
個人蔵
*展示終了のため、撮影出来ず。

● キャプション・83
地蔵菩薩図
円山応挙
個人蔵
版木に図や文字を彫り、朱を付けて絹地に押した作品で、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の立像が中央に描かれています。
署名から、応挙が描いた図をもとに作られたと考えられます。
全体画像

部分画像


● キャプション・84(初公開)
拾得図
長沢芦雪
個人蔵
右手に箒(ほうき)を持った拾得(じっとく)の視線の先には蜘蛛(くも)の糸があります。
箒の一部は指や爪に墨を付けて描いていると思われます。
芦雪(ろせつ)は若い時から大胆な構図や筆遣いの作品を描いていたことが分かります。
全体画像

部分画像

部分画像


● キャプション・85(初公開)
猛虎図
長沢芦雪
福田美術館
龍草蘆 賛
長沢芦雪(ろせつ)は多くの虎図を描いていますが、この図は20代中頃に描いた最初期作品です。
これより以前の作品と比較するとより自然な表現となっていて、応挙のもとで修行を続けた成果がうかがえます。
全体画像

部分画像


● キャプション・86
西王母図
天明2年(1782)
長沢芦雪
個人蔵
中国風の衣を身に着けた仙女・西王母(さいおうぼ)が左手に桃を持ち、岩に寄りかかっています。
すっと通った鼻筋やうなじの乱れた髪などは、極細の線で描かれています。
応挙の美人画にはない独特の色気を感じさせる作品です。
全体画像

部分画像


● キャプション・87 (初公開)
水晶図拓版
長沢芦雪
個人蔵
長沢芦雪(ろせつ)(1754~1799)は応挙の画風を忠実に受け継いだ作品と奇抜な構図の作品を描いています。これは拓版画(たくはんが)とよばれ、同じ技法が若冲の作品にも見られます。
『古事記』などに出てくる竹内宿禰(たけのうち すくね)の逸話と水晶が描かれています。
全体画像


● キャプション・88 (初公開)
水晶図拓版
月竹図
長沢芦雪
個人蔵
*展示終了のため、撮影出来ず。
これにて、この編、思い出の「若冲誕生」(福田美術館)は、完了しました。
本編は、思い出の「若冲誕生」の展示。
京都・嵐山・福田美術館。
令和2年3月20日(金)から7月26日(日)に展示されたものの掲載です。
(写真撮影・可のものより)
以降、●キャプション67-88は、[若冲と同時代の画家たち」 です。
* は、投稿者の付記です。

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● キャプション・67
若冲と同時代の画家たち
個人蔵
明和5年(1768)に出版された「平安人物志」明和版(No.67)は、京都で活躍する人物の住所録で、書家や画家など職業に分けて人物の名前と住所、書名を載せています。
このなかの「画家」の部には、大西 酔月(おおにし すいげつ)、円山 応挙(まるやま おうきょ)に続いて若冲の名前が記載されています。
ここでは、若冲と同時代に活躍した画家たちのなかから、
池 大雅(いけの たいが)(1723-1776)
曽我 蕭白(そが しょうはく)(1730-1781)、
円山 応挙(まるやま おうきょ)(1733-1795),
長沢 芦雪(ながさわ ろせつ)(1754-1799)の作品を紹介します。
「平安人物志」明和版

図録(部分)より (*黄色枠)


● キャプション・68
大雅画本
個人蔵
池 大雅(いけの たいが)
約60点の図を貼った画帖で、人物、山水、花鳥など画題は様々ですが、自由でユーモアに溢れる大雅の画風を伝えています。
全体画像


● キャプション・69(初公開)
山水画報図巻
個人蔵
池 大雅
池 大雅(いけの たいが)は、日本の文人画を大成したひとりとして高く評価されています。
これは中国の画伝書などに掲載された筆法をもとにまとめた画巻。
山の頂上や崖、建物を描いて説明を加えています。
全体画像

部分画像(*右から左へ)

部分画像(*右から左へ)
部分画像(*右から左へ)


● キャプション・70(初公開)
画報図巻
制作 寛延2年(1749年)
個人蔵
池 大雅
*展示終了のため、撮影出来ず。
● キャプション・71(初公開)
遊山藍水図巻
制作 明和2年(1765年)
福田美術館
池 大雅
*展示終了のため、撮影出来ず。
● キャプション・72(初公開)
菊花図 賛/梅荘顕常
制作 宝暦8年(1785年)
福田美術館
池 大雅
*展示終了のため、撮影出来ず。

● キャプション・73(初公開)
寒山捨得図
福田美術館
池 大雅
奇行で知られた寒山(かんざん)と捨得(じっとく)を描いた作品です。
ふたりとも体の形が円形になるようにわざと描いており、大雅独特のユーモアを感じさせます。
全体画像


キャプション・74(初公開)
柳下白馬図
曽我蕭白(そが しょうはく)
福田美術館
*展示終了のため、撮影出来ず。

● キャプション・75(初公開)
群仙図
曽我蕭白(*そが しょうはく)
福田美術館
右下の人物は一度寝ると百日以上起きなかったといわれる陳搏(ちんたん)、桃の木の下に座るのは、西王母(せいおうぼ)です。
左の小屋の中に繋がれた白馬の前に立つ男は、馬の医者 馬師皇(ばしこう)の可能性があります。
全体画像

部分画像

部分画像


● キャプション・76(初公開)
雲龍図
曽我蕭白(*そが しょうはく)
福田美術館
*展示終了のため、撮影出来ず。

● キャプション・77(初公開)
寒山拾得図
曽我蕭白
福田美術館
京の商家に生まれた曽我蕭白(そが しょうはく)は、日本はもちろん中国絵画も参考にしながら、独自の画風を確立しました。
背中を丸くして並んで座る二人は、右が寒山、左が拾得(じっとく)です。
画面上には「世にならふ月と花との二人り連(ふたりづれ)があり、寒山と拾得を月と花にたとえています。
全体画像

全体画像


● キャプション・78(初公開)
唐人物押絵貼屏風
曽我蕭白
個人蔵
水墨の線や濃淡を駆使して、中国風の服を着た6人の特徴がみごとに表現されています。
また、背景の草花や服の一部に施された淡彩が、画面に彩りをそえて人物を引き立たせています。
全体画像

部分画像(*左から右へ)

部分画像(*左から右へ)

部分画像(*左から右へ)


● キャプション・79(初公開)
山水図屏風
曽我蕭白
個人蔵
*展示終了のため、撮影出来ず。

● キャプション・80(初公開)
翡翠香魚図
明和6年(1769)円山応挙
個人蔵
岩の上から1羽の翡翠(かわせみ)が水中の鮎を狙っています。
また、遠くを泳ぐ魚ほど淡彩で描くことで実景に近づけ、破綻(はたん)がない空間を
再現することに成功しています。
全体画像

部分画像

部分画像


● キャプション・81
写生雑録帖
制作 明和8-安政元年(1771-1772)
円山応挙
個人蔵
*展示終了のため、撮影出来ず。
● キャプション・82(初公開)
林和靖図
制作 安永7年(1778年)
円山応挙
個人蔵
*展示終了のため、撮影出来ず。

● キャプション・83
地蔵菩薩図
円山応挙
個人蔵
版木に図や文字を彫り、朱を付けて絹地に押した作品で、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の立像が中央に描かれています。
署名から、応挙が描いた図をもとに作られたと考えられます。
全体画像

部分画像


● キャプション・84(初公開)
拾得図
長沢芦雪
個人蔵
右手に箒(ほうき)を持った拾得(じっとく)の視線の先には蜘蛛(くも)の糸があります。
箒の一部は指や爪に墨を付けて描いていると思われます。
芦雪(ろせつ)は若い時から大胆な構図や筆遣いの作品を描いていたことが分かります。
全体画像

部分画像

部分画像


● キャプション・85(初公開)
猛虎図
長沢芦雪
福田美術館
龍草蘆 賛
長沢芦雪(ろせつ)は多くの虎図を描いていますが、この図は20代中頃に描いた最初期作品です。
これより以前の作品と比較するとより自然な表現となっていて、応挙のもとで修行を続けた成果がうかがえます。
全体画像

部分画像


● キャプション・86
西王母図
天明2年(1782)
長沢芦雪
個人蔵
中国風の衣を身に着けた仙女・西王母(さいおうぼ)が左手に桃を持ち、岩に寄りかかっています。
すっと通った鼻筋やうなじの乱れた髪などは、極細の線で描かれています。
応挙の美人画にはない独特の色気を感じさせる作品です。
全体画像

部分画像


● キャプション・87 (初公開)
水晶図拓版
長沢芦雪
個人蔵
長沢芦雪(ろせつ)(1754~1799)は応挙の画風を忠実に受け継いだ作品と奇抜な構図の作品を描いています。これは拓版画(たくはんが)とよばれ、同じ技法が若冲の作品にも見られます。
『古事記』などに出てくる竹内宿禰(たけのうち すくね)の逸話と水晶が描かれています。
全体画像


● キャプション・88 (初公開)
水晶図拓版
月竹図
長沢芦雪
個人蔵
*展示終了のため、撮影出来ず。
これにて、この編、思い出の「若冲誕生」(福田美術館)は、完了しました。
京都市内の史蹟を、観光目的を兼ねて歴史を織り混ぜながら、紹介していくものです。
京都市内の史蹟を、観光目的を兼ねて歴史を織り混ぜながら、紹介していくものです。
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