京都史蹟散策250 社家町を流れる明神川
京都史蹟散策250 社家町を流れる明神川
上賀茂神社
【位置】北区上賀茂本山
【交通】市営バス、上賀茂神社前・御薗口町・*上賀茂御薗橋。
京都バス、*上賀茂神社前(*同じ場所にある)。
上賀茂神社

上賀茂神社を本殿に向かって進むと、御手洗(みたらし)川が流れて来る。
これは、明神川が名を変えて流れて来ているものである。
一方、上賀茂神社の楼門の前を御物忌(おものい)川が流れて来る。
そして、上賀茂神社の楼門・西側で両川は合流し、「ならの小川」と名前が変わる。
「ならの小川」は、かつて、藤原 家隆が詠んで歌碑にもなっている。
風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりけり
が、それである。
この歌は、小川での夏越の祓え(なごしのはらえ)の情景を詠んでいる。
やがて「ならの小川」は、神社の境内を通り過ぎると、又、明神川と再び、名前を変える。
と同時に、川の流れが、南から東に向きを変えるのである。
そして、社家町(しゃけまち)の中を流れる・・

いや、下の写真では、今、流れて来ていますが・・
珍しい瞬間を捉えました。
明神川の流れ、です。
こちらへ迫って来ています!



下の写真でも、よく見ると、未だ、川の流れは、「藤木社(ふじのきのやしろ)」(明神川の守護神として信仰されてきた)の前には、来ていません。



駒札によると・・
藤木社(ふじのきのやしろ)
祭神 瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)
祭日 4月21日
5月15日
11月21日
藤木社は、明神川の守護神として信仰されて来ました。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)の末社で、5月15日の賀茂祭(葵祭)には南大路町の氏子により神輿渡御が行われます。
社殿御後の楠は樹齢推定五百年で、この地のシンボルとして崇められてきました。
明神川は賀茂川を源とし、上賀茂神社の境内を経て、社家町を流れ生活用地水となり、後は田畑を潤す生命の川として永く大切に守られてきました。
この附近は中世の頃から上賀茂神社の神官の社家町として町並みが形成されてきたところで、昭和63年(*1988年)に国の重要伝統的建物群保存地区の指定を受け、町並みの保存に努めています。
また、この周辺地域は京都市の上賀茂郷界わい景観整備地区に指定されて、景観の調和が図られています。
上賀茂街並み保存会
明神川美化保存会
と、あります。
・・・そして、やがて時が過ぎて、もとの社家町の中を流れる明神川の姿に戻りました。

恐らく、川下の影響で、上流の堰を止めたのかも知れません。
この後、明神川は暗渠に入り、上加茂用水路(農業用水)として分流されて、田畑を潤して加茂川へと流れて行きます。
御薗橋(みそのばし)から加茂川(川下)を見る

上賀茂神社
【位置】北区上賀茂本山
【交通】市営バス、上賀茂神社前・御薗口町・*上賀茂御薗橋。
京都バス、*上賀茂神社前(*同じ場所にある)。
上賀茂神社
上賀茂神社を本殿に向かって進むと、御手洗(みたらし)川が流れて来る。
これは、明神川が名を変えて流れて来ているものである。
一方、上賀茂神社の楼門の前を御物忌(おものい)川が流れて来る。
そして、上賀茂神社の楼門・西側で両川は合流し、「ならの小川」と名前が変わる。
「ならの小川」は、かつて、藤原 家隆が詠んで歌碑にもなっている。
風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりけり
が、それである。
この歌は、小川での夏越の祓え(なごしのはらえ)の情景を詠んでいる。
やがて「ならの小川」は、神社の境内を通り過ぎると、又、明神川と再び、名前を変える。
と同時に、川の流れが、南から東に向きを変えるのである。
そして、社家町(しゃけまち)の中を流れる・・
いや、下の写真では、今、流れて来ていますが・・
珍しい瞬間を捉えました。
明神川の流れ、です。
こちらへ迫って来ています!



下の写真でも、よく見ると、未だ、川の流れは、「藤木社(ふじのきのやしろ)」(明神川の守護神として信仰されてきた)の前には、来ていません。


駒札によると・・
藤木社(ふじのきのやしろ)
祭神 瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)
祭日 4月21日
5月15日
11月21日
藤木社は、明神川の守護神として信仰されて来ました。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)の末社で、5月15日の賀茂祭(葵祭)には南大路町の氏子により神輿渡御が行われます。
社殿御後の楠は樹齢推定五百年で、この地のシンボルとして崇められてきました。
明神川は賀茂川を源とし、上賀茂神社の境内を経て、社家町を流れ生活用地水となり、後は田畑を潤す生命の川として永く大切に守られてきました。
この附近は中世の頃から上賀茂神社の神官の社家町として町並みが形成されてきたところで、昭和63年(*1988年)に国の重要伝統的建物群保存地区の指定を受け、町並みの保存に努めています。
また、この周辺地域は京都市の上賀茂郷界わい景観整備地区に指定されて、景観の調和が図られています。
上賀茂街並み保存会
明神川美化保存会
と、あります。
・・・そして、やがて時が過ぎて、もとの社家町の中を流れる明神川の姿に戻りました。

恐らく、川下の影響で、上流の堰を止めたのかも知れません。
この後、明神川は暗渠に入り、上加茂用水路(農業用水)として分流されて、田畑を潤して加茂川へと流れて行きます。
御薗橋(みそのばし)から加茂川(川下)を見る
京都市内の史蹟を、観光目的を兼ねて歴史を織り混ぜながら、紹介していくものです。
京都市内の史蹟を、観光目的を兼ねて歴史を織り混ぜながら、紹介していくものです。
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