京都史蹟散策200 京都印刷発祥の地

京都印刷発祥の地
【位置】中京区場之町 烏丸御池駅構内
【交通】地下鉄・烏丸御池駅構内

京都印刷発祥之地・概観
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●【記念碑】の上の面 ・「京」の逆文字
(表面)京都印刷発祥之地(逆文字)
(上の面)京((逆文字)

【赤で囲い】の部分
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●【記念碑】
(右側)京すりもの  ここに始まる
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(左側)平成二十二年五月建立
     京都府印刷工業組合
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●【記念碑の右側の碑】
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印刷は文化である
 世界三大発明の一つである「印刷」は、百万塔陀羅尼を始めとするそれまでの木型・金型刷りの技術を進展させ、著しい情報の伝搬を可能とし、文化の拡張に同調してきた。
 我が国の印刷は,明治三年長崎にて本木昌造先生が金属活字による活版印刷を始められたのを創始とする。
 明治三年十二月、先生の門人、古川穂次郎氏が京都上京区(現中京区)第廿八組烏丸通三條場之町 三十三番戸で「黙林堂」を開業した。
これを「京都の印刷」の嚆矢とする。
山鹿善兵衛氏などが跡を継ぎ、後に三條柳馬場東に移転した。
 文字を主とした活版印刷後,絵画に適した石版印刷、コロタイプ印刷が始まり、オフセット印刷、グラビア印刷等を經て印刷は進歩し,文化に広く浸透し続けるのである。
 近年はコンピュータの発達により、印刷はその前工程、後工程も含め急速にその成り立ちを深化させている。
この技術はWEBの成長と共に、情報産業として印刷業務の範囲を拡大し、紙以外への取組みも始まり、印刷の文化も更なる展開を続けている。
 明治二十四年,申合組合として、京都印刷業組合が結成されて壱百貳拾年となる邂逅の本年、印刷における「京すりもの」の出発点を確認し、陽に繁る樹木の如く、吾らの将来の恒久発展を祈念し、永く記憶に留める為に,「黙林堂」跡地に、「京都印刷発祥之地」の碑を建立する。
      平成二十二年(2010)五月吉日
          京都府印刷工業組合



記念碑の右側の碑の右・背後の説明板
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同・説明文
京すりものここに始まる
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<記念碑について>
この記念碑は活字の型を模したものである。
字面(碑頭部)と腹(全面)の文字は活字にちなんで逆文字となっている。

<背景の絵画について>
「背面の絵画」は京都造形芸術大学の藤井秀雪先生のご尽力により,関本徹生教授に産協同事業として完成して頂きました。

<左側のツゲと浮世絵について>
活字はツゲの木でも作成していた。
(活字の字母の元になる父型もツゲで作成。)
そして刷り物として広がったのが浮世絵を代表とする木版画。
芸術文化は高尚なものではなく、一般書庶民の日常生活の中に、まさしく目と鼻の先にあった。
それらを示唆したのが媒体(印刷物)である。
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同・説明文
グーテンベルク以降の金属活字。
1.高さ、2. 大きさ、
2.幅、4.ネッキ、
5.腹、6. 背、7.足、
8.溝、9. 字面  と、ある。  
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同・
この地形写真の黄色線は、地租改正後、明治8年頃の場之町の家屋地図である。
赤字の所が(*前述・京都印刷発祥之地1)の山鹿九郎兵衛氏宅で、京都の印刷創始社、黙林堂(てんりんどう)の跡地である。
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      (了)

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