京都の夏は祇園祭・祇園祭の光景と歴史(2016年以降)3 白楽天山(リニュアル)
京都の夏は祇園祭・祇園祭の光景と歴史(2016年以降)3 白楽天山(リニュアル)
駒札について。
祇園祭・山や鉾の駒札は、山鉾巡行時のみ掲示される場合があり、この折でないと見られないものもあります。
本篇は、この駒札を基軸に掲載し、現在の状況に適応しない箇所などは、補足と共に(*)で、付記しました。
【】付記については、公益財団法人 祇園祭山鉾連合会の記事などを参照しました。
また、ルビについては、できるだけ、原文ママ、にしました。
(以降、継続)
●白楽天山(はくらくてんやま)炎
宵山の光景(2016年)

宵山の光景(2019年)


白楽天山
駒札によると・・
唐の詩人、白楽天が道林禅師(どうりんぜんし)に仏法の大意を問うところをあらわしている。
道林禅師は、緞子(どんす)地の紫衣(しえ)を着け、藍色羅紗(あいいろらしゃ)の帽子をかぶり、手に数珠(じゅず)と払子(ほっす)を持ち、松の枝の上に座し、白楽天は唐織白地狩衣の衣装(かりぎぬ)に唐冠をかぶり笏(しゃく)を持って立っている。
旧水引(みずひき)は明治5年の調製で孔雀や麒麟(きりん)などの禽獣(きんじゅう)を金絲(きんし)で繍(ぬ)いつめた刺繍(ししゅう)、また前懸(まえかけ)は文化5年(1808)に新調された紺地雲龍紋様刺繍裂(うんりゅうもんよう ししゅうぎれ)と、万延元年(1860)蟷螂山(とうろうやま)より買受けた毛綴(けつづれ)の三点継(さんてんつなぎ)もある。
この毛綴はギリシア神話を題材とした柄で、トロイ城陥落の時、アイネイアス【1】が父を救出する場面を描いた優品であり、大津祭(滋賀県)の月宮殿山(げっきゅうでんざん)の見送(みおくり)と双幅(そうふく)である。
【1】 アイネイアース
ギリシア・ローマ神話に登場する半神半人の英雄。
トロイ戦争のトロイの武将でトロイア滅亡後、イタリア半島に逃れて、後のローマ建国の祖となったと云われる。
見送は かって麒麟龍鳳凰文様の綴錦(つづれにしき)であったが、昭和28年より山鹿清華(やまが せいか)作の北京万寿山図の毛綴錦のものを用いた。
また胴懸(どうかけ)及び水引として昭和53年町内長老がフランスから直接買付けた17世紀製作の毛綴を用いている。
旧後懸(うしろかけ)のインド更紗(さらさ)(19世紀)や、旧見送の裏面で町住者、露木露珍(石門)【2】が描いた油絵 山水画(文化4年)などは、大切に保存されている。
【2】露木露珍
平安人物志(文化10年)によると、字は、子潜。石門と号し、室町綾小路南に在住し、俗称は 露木潜並。と、される。
京都市
と、ある。
鉾の近隣に小学校4年生の作文が
掲示されていた。
・・ぼく達がインタビューなどでわかったことは、何百年以上も続いている伝統的な祭りを大事にしたい。
これからうけついでいきたいという思いで祇園祭をしていたことです。
大昔の人がうけついできた努力を台無しにしないためだということもわかりました。
と、あった。
巡行の様子(2016年)


見送りは、昭和28年より山鹿清華作の北京万寿山図の毛綴錦を使用。

巡行の様子(2019年)
唐からの詩人 白楽天が道林禅師(どうりん ぜんし)に仏法の大意を問う姿である。
道林禅師は手に数珠と払子(ほっす)を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐冠をかぶりコツを持って立っている。
(無料配布・2019 京都市観光協会・説明文、より)






――――――――――――
【付録】
京のまつり研究会設立10周年記念
京・まつり展. 7月20日(水)~7月24日(日)
(入場無料・フラッシュ不可・撮影可)
於・京都文化博物館 より


○祇園祭山鉾34基の細密画(*より・白楽天山)
この細密画は、大船鉾・鷹山の一部を除き、故 松田 元が10数年にわたって書く山鉾町を取材され、各山鉾の姿を精密に描いた昭和56年以前の細密画である。
これら山鉾の前掛、胴掛などの装飾品が、その後新調され、現在の山鉾と差異が生じているものもあるが、当時の山鉾の記録としては、貴重な史料である。


以降、今後も継続の予定です。
駒札について。
祇園祭・山や鉾の駒札は、山鉾巡行時のみ掲示される場合があり、この折でないと見られないものもあります。
本篇は、この駒札を基軸に掲載し、現在の状況に適応しない箇所などは、補足と共に(*)で、付記しました。
【】付記については、公益財団法人 祇園祭山鉾連合会の記事などを参照しました。
また、ルビについては、できるだけ、原文ママ、にしました。
(以降、継続)
●白楽天山(はくらくてんやま)炎
宵山の光景(2016年)
宵山の光景(2019年)
白楽天山
駒札によると・・
唐の詩人、白楽天が道林禅師(どうりんぜんし)に仏法の大意を問うところをあらわしている。
道林禅師は、緞子(どんす)地の紫衣(しえ)を着け、藍色羅紗(あいいろらしゃ)の帽子をかぶり、手に数珠(じゅず)と払子(ほっす)を持ち、松の枝の上に座し、白楽天は唐織白地狩衣の衣装(かりぎぬ)に唐冠をかぶり笏(しゃく)を持って立っている。
旧水引(みずひき)は明治5年の調製で孔雀や麒麟(きりん)などの禽獣(きんじゅう)を金絲(きんし)で繍(ぬ)いつめた刺繍(ししゅう)、また前懸(まえかけ)は文化5年(1808)に新調された紺地雲龍紋様刺繍裂(うんりゅうもんよう ししゅうぎれ)と、万延元年(1860)蟷螂山(とうろうやま)より買受けた毛綴(けつづれ)の三点継(さんてんつなぎ)もある。
この毛綴はギリシア神話を題材とした柄で、トロイ城陥落の時、アイネイアス【1】が父を救出する場面を描いた優品であり、大津祭(滋賀県)の月宮殿山(げっきゅうでんざん)の見送(みおくり)と双幅(そうふく)である。
【1】 アイネイアース
ギリシア・ローマ神話に登場する半神半人の英雄。
トロイ戦争のトロイの武将でトロイア滅亡後、イタリア半島に逃れて、後のローマ建国の祖となったと云われる。
見送は かって麒麟龍鳳凰文様の綴錦(つづれにしき)であったが、昭和28年より山鹿清華(やまが せいか)作の北京万寿山図の毛綴錦のものを用いた。
また胴懸(どうかけ)及び水引として昭和53年町内長老がフランスから直接買付けた17世紀製作の毛綴を用いている。
旧後懸(うしろかけ)のインド更紗(さらさ)(19世紀)や、旧見送の裏面で町住者、露木露珍(石門)【2】が描いた油絵 山水画(文化4年)などは、大切に保存されている。
【2】露木露珍
平安人物志(文化10年)によると、字は、子潜。石門と号し、室町綾小路南に在住し、俗称は 露木潜並。と、される。
京都市
と、ある。
鉾の近隣に小学校4年生の作文が
掲示されていた。
・・ぼく達がインタビューなどでわかったことは、何百年以上も続いている伝統的な祭りを大事にしたい。
これからうけついでいきたいという思いで祇園祭をしていたことです。
大昔の人がうけついできた努力を台無しにしないためだということもわかりました。
と、あった。
巡行の様子(2016年)
見送りは、昭和28年より山鹿清華作の北京万寿山図の毛綴錦を使用。
巡行の様子(2019年)
唐からの詩人 白楽天が道林禅師(どうりん ぜんし)に仏法の大意を問う姿である。
道林禅師は手に数珠と払子(ほっす)を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐冠をかぶりコツを持って立っている。
(無料配布・2019 京都市観光協会・説明文、より)
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【付録】
京のまつり研究会設立10周年記念
京・まつり展. 7月20日(水)~7月24日(日)
(入場無料・フラッシュ不可・撮影可)
於・京都文化博物館 より
○祇園祭山鉾34基の細密画(*より・白楽天山)
この細密画は、大船鉾・鷹山の一部を除き、故 松田 元が10数年にわたって書く山鉾町を取材され、各山鉾の姿を精密に描いた昭和56年以前の細密画である。
これら山鉾の前掛、胴掛などの装飾品が、その後新調され、現在の山鉾と差異が生じているものもあるが、当時の山鉾の記録としては、貴重な史料である。
以降、今後も継続の予定です。
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