「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 14・第19章
本篇は、ゴンクール著・歌麿(明治24年、出版)野口 米次郎 訳(昭和4年、刊行)の底本を、あくまで趣味的に、現代語訳で読み解くものです。
(図は全て底本・著作権満了のものより)
●19章
しかし、歌麿のすべての博物学的芸術の著作中、もっとも優れているのは
「汐干のつと」である。
*底本では、潮のつと(つと、は、土産の意)
これは、その当時における文学社会の人達が貝に関して詠んだ狂歌集である。
最初の画は、女性や子供達が海辺で貝殻を探している図である。
本図には真珠貝、黒真珠色の鮑貝(あわび)あるいは、射出紅玉(ルビー)の目の入った貝などが、実際に紙上に写してあって、それらの貝の虫の食った穴や、また、数奇な極微な生物を描いている。
縞(*しま)のある貝やバイ(*貝)の外皮の様な薄い屑からなる虫の触手形の水螅殻(*ミズヒドラ)や、また、海キャベツのように縮れたもの、あるいは雲母の背のようなとげとげの針のある貝殻類も本絵本に描いてある。
そして本書は最後に貝合わせをしている図で終わっている。
それは若い婦人達の特殊な遊戯で、彼らがたくさんの貝殻を並べ、その周囲に蹲(うずくま)っている所を描いたのである。
【訳注】
「汐干のつと」は、彩色摺 大本一帖で、
寛政9年(*1797年)耕書堂 蔦屋 重三郎
開板である。
(*「潮干のつと」喜多川歌麿・図
あけら菅江(朱楽菅江)編
(耕書堂蔦屋重三郎、(寛政初頃))が
現存する。

前と後に「汐干狩」と「貝合せの図」があって、この両図を挟む12頁の上にあらゆる貝類の絵がまばらに描いてある。
本絵本の序文は、朱楽 管江(*あけら かんこう)が書き、跋文を千 元太が書いている。
この序も跋も、この種の文章として面白く出来ている。
しかし、云うまでもなく歌麿の絵はそれら以上に上出来で、立派な芸術的価値が高い。
この絵本は、おそらく「絵本虫撰」と共に歌麿の価値を永劫ならしめるであろう。
――――――
参考。
あけら菅江(朱楽菅江)像
古今狂歌袋 より
北尾政演(山東京伝)画
宿屋飯盛(石川雅望)撰
天明7年(1787年)
(著作権満了)

立て見し柱暦も寝転んで
読めるばかりに年は暮れにき
柱暦は、家の柱などに掛ける小さい暦。
朱楽菅江(あけら かんこう)
江戸後期の戯作者、狂歌師。
幕臣で本名は、山崎景貫(後に景貫と改名)。
淮南堂・芬陀利華庵・朱楽館とも号する。
俳号は貫立、戯作号は朱楽館主人。
天明狂歌ブームを築き、
大田南畝(おおた なんぽ)、
唐衣 橘洲(からごろも きっしゅう)
と共に狂歌三大家と云われた。
――――――
【本文続き】
今、(*朱楽) 管江の(*「汐干のつと」の)
序文を掲げることにする。
序文

「田鼠化してぬかとりとなり、
(*田鼠化為鶉[でんそうかして
うずらとなる]晩春 . 七十二候のひとつ)
井蛙(せいあ・井戸の中の蛙)
分して扚子となる。
ころ(*頃)は弥生のよいていけ、
皆口綿の袖か裏に、
なのりそつまむ、
貝やほろはんと、
潮の干潟に舟引あけて、
沖の並び面々は、
たそ誰に倉部行燈なめり、
大盃をなかにすへて、
さかなもとめにこゆるきの磯に、
とりえし蜑のまてかた、
昨夜の酔や引出しけん、
顔はほのりと赤松秀成、
酒に堪すとうちわふれは、
いやまた〱と真竹のふし蔭、
ふしたるたかつきとり起して、
させとさすかにやさ男、
酒にまけてもかつらのまゆすみ、
いさなのこときわかとのはら、
もゝの川水すふ勢ひは、
桃通とし御座あれと、
はやしの竹のよみ人白壽、
此七軒のあるしをはしめ、
つゝいて酒をたすくる人〱、
すへて三十六人に及びへり。
是もと碌々のともからにあらす、
皮むきのこちけい風流の士なり。
酒三こんにたれるころにや、
こんは忽大鵬と化して、
垂天の雲に羽うちわとなれり。
その羽うちわのまねきに應し、
たつのみやこの御城下までもと、
千尋のそこをかちより行とて、
ちくさの小貝をひろひえたり。
えもといひしらぬ道すからの、
たのしひまことに千年を、
故さと人によし語るとも、
万本にはうけしとたゝ酒腹の、
へらずくちに井蛙には貝をかたるへからず。
わか燗鍋の二見かうら、
歌仙の貝にことなすらひて、
をの〱一首の狂詠をそふ。
所かはれは品川みやけ、浦のあをさを
かいあつむるにそ。
あけら 管江 書 」
―――――――――
*参考
◆「潮干のつと」その1

本文より・・
最初の画は、女性や子供達が海辺で貝殻を
探している図である。
◆その2

◆その3

◆その4

◆その5

◆その6

◆その7

◆その8

本文より・・
本書は最後に貝合わせをしている図で
終わっている。
それは若い婦人達の特殊な遊戯で、彼らが
たくさんの貝殻を並べ、その周囲に
蹲(うずくま)っている所を
描いたのである。
◆ 千 元太の跋文

つくつくあか友 かきをかそふるに
酒をたしむは凡 十か やつ ここのつに
して しかも(*いにしえ)のやつの
山人にもゆすらすな なつのかしこき人
にも越たり
一酔千日 樽を枕とし糠(ぬか)を
籍物とす
ある日 たまたま枕を もたけて
安房と上総とを望む
嗚呼 天地は一大戯場也
なみの引幕 道具立つ頃は
弥生の二のかはりに
親舟のせり出し 小貝のえりとり
潮の干潟の大入盃 浜の真砂の
数かさなるよりたつの都は
遠眼鏡もてみるへく なきさの子ふねは
牛をかけて引へし
猶 浦風に吹かへす振の袂のほしけなるは
しほひにみえぬ沖の石石に制をす
三十六人 千種のかひの役割をさため
二役三役 八重の汐路
八重垣連の第二番目
万世の中 四番続 我大人の尻馬に乗て
金ふくりむの倉部 膽行燈膽は天より
こまやかなる はたの大根の鞭打にな
八重垣連のもとめ
によりて
千 元太 書
――――――――
第56図・「武家煤払の図」
大判錦絵
3枚の全体図と部分図。




本図は5枚物であるが、その価値はここに掲げる3枚に尽きている。
本図の解説は、本文の第5章のなかを参照のこと。
製作時代は寛政10年頃。
以降は、【5章の中の一部を再掲載】
「青楼の年末大掃除」
(武家煤払[すすはらい]の図 )五枚続
朝化粧をした女中達が、年末の大煤払い家の隅々や、さかさまに倒れている屏風などを夢中に掃除している。
彼女達は、雑巾がけや、払い塵や箒(ほうき)などで、小さい鼠を巣から追い出している。
最初、私の研究では、この版画は単に三枚ものであろう、と私は信じていた。
然るに、実際は五枚ものである。
【訳注】
私も以前、私の歌麿論のなかに本図を「青楼歳末大煤掃図」として書いた。
ゴンクールは、青楼の大掃除の場面と思っている。
実は、「武家煤払の図」である。
私は、この図について、こういったことがある、
『右から三枚には頭抜けた芸術の動きや進展があるとは思われない。
しかし、その次の二枚、すなわち、左から二枚には、破天荒な妙腕を構図の上に現わしている。
私は初めてこれを見た時、
『これこそ、正に雲を破る太陽のような芸術だ、青空へ辿り行くバラの香気のような芸術だ、と叫んだ。
如何にも歌麿は、摩訶不思議な魔法を演じている。
この女護島の住人は、今、大煤掃に多忙を極めている。
しかも女性達は、それを一年中で、最も愉快な一日とすることを忘れない。
彼らは、艶な態度で手拭いをかぶっている。
彼らは酔っぱらった若者を胴上げして運んでいこうとしている。
彼らは、男ぶりのいい若者に手を触れることを喜んでいる。
彼らは、酔っぱらった老人にからかわれて逃げていこうとしている。』
私は、今日この言葉を書いた時ほど、この五枚続をそう感服しているのではない。
それは、歌麿の続き物、いずれに対してそうであることを一言、添えて置きたい。
次回は、「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 15・第20章 に続きます。
https://kyotoshiryo.seesaa.net/article/202105article_4.html
(図は全て底本・著作権満了のものより)
●19章
しかし、歌麿のすべての博物学的芸術の著作中、もっとも優れているのは
「汐干のつと」である。
*底本では、潮のつと(つと、は、土産の意)
これは、その当時における文学社会の人達が貝に関して詠んだ狂歌集である。
最初の画は、女性や子供達が海辺で貝殻を探している図である。
本図には真珠貝、黒真珠色の鮑貝(あわび)あるいは、射出紅玉(ルビー)の目の入った貝などが、実際に紙上に写してあって、それらの貝の虫の食った穴や、また、数奇な極微な生物を描いている。
縞(*しま)のある貝やバイ(*貝)の外皮の様な薄い屑からなる虫の触手形の水螅殻(*ミズヒドラ)や、また、海キャベツのように縮れたもの、あるいは雲母の背のようなとげとげの針のある貝殻類も本絵本に描いてある。
そして本書は最後に貝合わせをしている図で終わっている。
それは若い婦人達の特殊な遊戯で、彼らがたくさんの貝殻を並べ、その周囲に蹲(うずくま)っている所を描いたのである。
【訳注】
「汐干のつと」は、彩色摺 大本一帖で、
寛政9年(*1797年)耕書堂 蔦屋 重三郎
開板である。
(*「潮干のつと」喜多川歌麿・図
あけら菅江(朱楽菅江)編
(耕書堂蔦屋重三郎、(寛政初頃))が
現存する。
前と後に「汐干狩」と「貝合せの図」があって、この両図を挟む12頁の上にあらゆる貝類の絵がまばらに描いてある。
本絵本の序文は、朱楽 管江(*あけら かんこう)が書き、跋文を千 元太が書いている。
この序も跋も、この種の文章として面白く出来ている。
しかし、云うまでもなく歌麿の絵はそれら以上に上出来で、立派な芸術的価値が高い。
この絵本は、おそらく「絵本虫撰」と共に歌麿の価値を永劫ならしめるであろう。
――――――
参考。
あけら菅江(朱楽菅江)像
古今狂歌袋 より
北尾政演(山東京伝)画
宿屋飯盛(石川雅望)撰
天明7年(1787年)
(著作権満了)
立て見し柱暦も寝転んで
読めるばかりに年は暮れにき
柱暦は、家の柱などに掛ける小さい暦。
朱楽菅江(あけら かんこう)
江戸後期の戯作者、狂歌師。
幕臣で本名は、山崎景貫(後に景貫と改名)。
淮南堂・芬陀利華庵・朱楽館とも号する。
俳号は貫立、戯作号は朱楽館主人。
天明狂歌ブームを築き、
大田南畝(おおた なんぽ)、
唐衣 橘洲(からごろも きっしゅう)
と共に狂歌三大家と云われた。
――――――
【本文続き】
今、(*朱楽) 管江の(*「汐干のつと」の)
序文を掲げることにする。
序文
「田鼠化してぬかとりとなり、
(*田鼠化為鶉[でんそうかして
うずらとなる]晩春 . 七十二候のひとつ)
井蛙(せいあ・井戸の中の蛙)
分して扚子となる。
ころ(*頃)は弥生のよいていけ、
皆口綿の袖か裏に、
なのりそつまむ、
貝やほろはんと、
潮の干潟に舟引あけて、
沖の並び面々は、
たそ誰に倉部行燈なめり、
大盃をなかにすへて、
さかなもとめにこゆるきの磯に、
とりえし蜑のまてかた、
昨夜の酔や引出しけん、
顔はほのりと赤松秀成、
酒に堪すとうちわふれは、
いやまた〱と真竹のふし蔭、
ふしたるたかつきとり起して、
させとさすかにやさ男、
酒にまけてもかつらのまゆすみ、
いさなのこときわかとのはら、
もゝの川水すふ勢ひは、
桃通とし御座あれと、
はやしの竹のよみ人白壽、
此七軒のあるしをはしめ、
つゝいて酒をたすくる人〱、
すへて三十六人に及びへり。
是もと碌々のともからにあらす、
皮むきのこちけい風流の士なり。
酒三こんにたれるころにや、
こんは忽大鵬と化して、
垂天の雲に羽うちわとなれり。
その羽うちわのまねきに應し、
たつのみやこの御城下までもと、
千尋のそこをかちより行とて、
ちくさの小貝をひろひえたり。
えもといひしらぬ道すからの、
たのしひまことに千年を、
故さと人によし語るとも、
万本にはうけしとたゝ酒腹の、
へらずくちに井蛙には貝をかたるへからず。
わか燗鍋の二見かうら、
歌仙の貝にことなすらひて、
をの〱一首の狂詠をそふ。
所かはれは品川みやけ、浦のあをさを
かいあつむるにそ。
あけら 管江 書 」
―――――――――
*参考
◆「潮干のつと」その1
本文より・・
最初の画は、女性や子供達が海辺で貝殻を
探している図である。
◆その2
◆その3
◆その4
◆その5
◆その6
◆その7
◆その8
本文より・・
本書は最後に貝合わせをしている図で
終わっている。
それは若い婦人達の特殊な遊戯で、彼らが
たくさんの貝殻を並べ、その周囲に
蹲(うずくま)っている所を
描いたのである。
◆ 千 元太の跋文
つくつくあか友 かきをかそふるに
酒をたしむは凡 十か やつ ここのつに
して しかも(*いにしえ)のやつの
山人にもゆすらすな なつのかしこき人
にも越たり
一酔千日 樽を枕とし糠(ぬか)を
籍物とす
ある日 たまたま枕を もたけて
安房と上総とを望む
嗚呼 天地は一大戯場也
なみの引幕 道具立つ頃は
弥生の二のかはりに
親舟のせり出し 小貝のえりとり
潮の干潟の大入盃 浜の真砂の
数かさなるよりたつの都は
遠眼鏡もてみるへく なきさの子ふねは
牛をかけて引へし
猶 浦風に吹かへす振の袂のほしけなるは
しほひにみえぬ沖の石石に制をす
三十六人 千種のかひの役割をさため
二役三役 八重の汐路
八重垣連の第二番目
万世の中 四番続 我大人の尻馬に乗て
金ふくりむの倉部 膽行燈膽は天より
こまやかなる はたの大根の鞭打にな
八重垣連のもとめ
によりて
千 元太 書
――――――――
第56図・「武家煤払の図」
大判錦絵
3枚の全体図と部分図。
本図は5枚物であるが、その価値はここに掲げる3枚に尽きている。
本図の解説は、本文の第5章のなかを参照のこと。
製作時代は寛政10年頃。
以降は、【5章の中の一部を再掲載】
「青楼の年末大掃除」
(武家煤払[すすはらい]の図 )五枚続
朝化粧をした女中達が、年末の大煤払い家の隅々や、さかさまに倒れている屏風などを夢中に掃除している。
彼女達は、雑巾がけや、払い塵や箒(ほうき)などで、小さい鼠を巣から追い出している。
最初、私の研究では、この版画は単に三枚ものであろう、と私は信じていた。
然るに、実際は五枚ものである。
【訳注】
私も以前、私の歌麿論のなかに本図を「青楼歳末大煤掃図」として書いた。
ゴンクールは、青楼の大掃除の場面と思っている。
実は、「武家煤払の図」である。
私は、この図について、こういったことがある、
『右から三枚には頭抜けた芸術の動きや進展があるとは思われない。
しかし、その次の二枚、すなわち、左から二枚には、破天荒な妙腕を構図の上に現わしている。
私は初めてこれを見た時、
『これこそ、正に雲を破る太陽のような芸術だ、青空へ辿り行くバラの香気のような芸術だ、と叫んだ。
如何にも歌麿は、摩訶不思議な魔法を演じている。
この女護島の住人は、今、大煤掃に多忙を極めている。
しかも女性達は、それを一年中で、最も愉快な一日とすることを忘れない。
彼らは、艶な態度で手拭いをかぶっている。
彼らは酔っぱらった若者を胴上げして運んでいこうとしている。
彼らは、男ぶりのいい若者に手を触れることを喜んでいる。
彼らは、酔っぱらった老人にからかわれて逃げていこうとしている。』
私は、今日この言葉を書いた時ほど、この五枚続をそう感服しているのではない。
それは、歌麿の続き物、いずれに対してそうであることを一言、添えて置きたい。
次回は、「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 15・第20章 に続きます。
https://kyotoshiryo.seesaa.net/article/202105article_4.html
京都市内の史蹟を、観光目的を兼ねて歴史を織り混ぜながら、紹介していくものです。
京都市内の史蹟を、観光目的を兼ねて歴史を織り混ぜながら、紹介していくものです。


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