「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 13・第18章
本篇は、ゴンクール著・歌麿(明治24年、出版)野口 米次郎 訳(昭和4年、刊行)の底本を、あくまで趣味的に、現代語訳で読み解くものです。
(図は全て底本・著作権満了のものより)
青楼画家 歌麿
●18章
「絵本虫撰」の中で、睡蓮(すいれん)中で蛙が戯れる図や蜥蜴(とかげ)が蛇に追われる図などは実に異常な絵である。
そして、この摺物絵本のうちに青虫とか、バッタとかが、やさしい青色の葉の上とか、あるいは満開の花の間とか、から浮き出していることに私共は気がつく。
また、その中にはカブト虫の青銅色で、また蜻蛉(かげろう)の翼がきらきら輝いたエメラルド色の恰も(あたかも)私共の目を偽る沙(ろ)のような感じさえ与えるものもある。
最後に、これらの図の彩色が実に最善功名であるために、実際の交戦がそれらの上に当たっているように思われることを云いたい。
―――――――
(参考)
●江戸後期の浮世絵・喜多川 歌麿
「画本虫ゑらみ」二冊
喜多川歌麿 筆、
宿屋飯盛(石川雅望)撰
(蔦屋重三郎、 天明8年[1788])
(著作権満了)
表紙

―――――――
【本文続き】
しかし本画本の奇跡的に完全な色彩の他に、歌麿の芸術を研究するフランス人の人々にとって、本書に全く独特な興味が存在する。
何故ならば、本絵本の巻頭に鳥山 石燕(とりやま せきえん)と云う歌麿の師匠が書いた序文が載っているからである。
かれは、この若い彼の愛する門人、すなわち、歌子の自然の観察を賞賛している。
(*鳥山) 石燕は歌麿を親しく哥子と呼んでいる。彼は、こう書いている。
「ものの生命を精神的に伝え、筆にその外形的構成を描くと云うことは、すなわち、絵画の法則である。
我が弟子 歌麿が今、出帆した絵本は、虫類の生命を写したもので、心画と云って差支え
ない。
私が昔のことを追走すると、歌麿は幼少時代から事物の最も微細なものをよく観察した
ものであった。
それ故、彼が庭にいた時は、虫どもを追い回していたので、蟋蟀(こおろぎ)、バッタの類を捕えては掌(てのひら)に載せて、戯れながら観察するのが好きであった。
私は彼が生物を殺す癖がつきわしないかと云う不安のために、何度、彼を叱ったか知れなかった。
彼が大きい絵画的才能を獲得した今日となってみると、それらの研究が彼の職業の名誉を作る根本となったのである。
実際、彼はその作品で玉虫の光沢を奪った、全く昔の画家をして顔色をそのようにした。
彼はこの芸術戦のために、蟷螂(カマキリ)の鎌を借り、又、地中に穴を掘る蚯蚓(ミミズ)を利用した。
彼は暗い自然の神秘を照らすために蛍の光になった。
また彼は、蜘蛛(クモ)が巣の糸を解くように芸術の端緒を解(ほぐ)したのである。
彼は本書に諸先輩の狂歌合を入れることを徳とした。
この木版彫刻は、藤一宗が鑿(ノミ)を与えたのである。
天明(1787年)7年の冬
鳥山 石燕 書 」
本序文が浮世絵派の革命的宣言であり、狩野・土佐の伝流派に対する反抗であることは明瞭である。

【訳文】
彩色摺「絵本虫撰▲」大本二冊は、天明8年耕書堂 蔦屋 重三郎開板である。
*▲ 底本では、「絵本蟲撰」と表記されているが、原本では、「画本蟲(えほんむし)ゑらみ 完」となっている。
上下二巻に分かれ、
その上巻に「松虫と蛍」「ばった と蟷螂(*カマキリ)」「蜂と毛虫」「馬追虫と むかで」「けらと はさみむし」「蝶と蜻蛉」「虻(*アブ)と芋虫」「ひくらし と蜘蛛」の諸図を含み、
下巻に「蛇と とかげ」「赤蜻蛉と いなご」「蓑虫と兜虫」「蝸牛と蟹」「きりぎりすと蝉」「蚯蚓(*みみず)とこほろぎ」「蛙と こかねし」の諸図が入っている。
以上の各図に二首ずつの狂歌が記入されている。
この花鳥虫魚の図は歌麿一大の傑作で彼の写生力を遺憾なく説明し尽くしている。
―――――――
(序文の画像)


―――――――
「心に生をうつし、筆に骨法を画くは画法にして、今 門人 歌麿の顕はす虫中の生を写すは是れ心画なり。
哥子 幼昔 物事に細かく成るが、ただ戯れに秋 甲虫を撃(たた)き、はたはた蟋蟀(こおろぎ)を掌(てのひら)にのせ遊びて、余念なし。
即ち 其(その)生を むさぼらんことを恐れて、あまた たびいましめしに、今の筆策 誠に業の徳を かかやかせしは、玉虫の つやを奪ひ、古画を辱(はずか)しめて、車に向ふ蟷螂(*カマキリ)の鎌をかりて、蚯蚓(*みみず)の土を穿ち(うがち・*穴をあけること)そのさひはつをたたさんと、棒ふりのふりよき図に、くらき初心、蛍の光りに此道をてらし、蜘蛛の巣の糸口をとけと、諸君の狂歌合にたり、彫巧、藤 一宗が刀は、桜木にものして、其 起を ことわりせよと、乞ふにまかせて、
天明七ひつし(*羊)の冬
鳥山 石燕 書 」
日本における この種の文章は、概して文字が遊戯に堕したものが多くて、その価値は乏しいのである。
しかし、この(*鳥山) 石燕の文章は歌麿研究の上に一、二、重要な点を明らかにしている。
故に、これは軽視すべきものではない。
第一に歌麿は、(*鳥山) 石燕の倅(せがれ)でなくて門人にすぎなかった事が、ここに明瞭になっている。
また、歌麿と、(*鳥山) 石燕の関係は、幼少時代からであったであろう、と思われる点である。
今日、(*鳥山) 石燕の絵画は、そう価値があるものとは思われないが、彼がこの文章一つで歌麿と名を連ねて自らを不朽ならしめた、と云う事は、確かに不思議な幸運であった、と云っていい。
*以下、参考
この「画本虫ゑらみ」では、先述の鳥山 石燕 の序文に続いて宿屋 飯森の序文が以下のようにある。


「けふなんはつき十四日の夜
野辺にすたく虫の聲きかんと
例のたはむれたる友と
ちかたみにひきゐて
両国の北 よしはら(*吉原)の東
鯉ひさく庵さきのほとり(*畔)
隅田のつつみに氈うち敷て
をのをのの虫のねたん(*値段) の
たかき ひきくを(*高き、低きを)
さためんとす(*定めんとす。)
故ありて 酒と妓とを いましめたれは
わき女よりはしはむしのゑんとや
いふへき(*云うべき)なにかしの寺の
ねふち(*値打)の聲 むしの音に
ましりて ほのきこゆるなと
かのくえんしの建立ありし姫宮の持佛同も
思ひ出られてあはれなり
されは朝市のふるものあつかよ
人いふめれと たた にやとて 長埇子の
えらひ給へる諸虫 歌あはせの跡を追て
恋のこころのされ歌をのへは侍るにと
かくして夜もふけ侍し 江山風月
常のあるしなけれは 地しろをせむる
大屋もあらねと 草のむしろのまろうとゐは
なく虫こそあるしなれとて つゆけき方に
うちむかひて(*打ち向ひて)ねもころに
ぬかつきて 立ぬこれなん 三百六十の
ひとつなかまのいやなりけらし
宿屋 飯盛 しるす 」
(以下、画像が続く)
◆01・蜂と毛虫
(はちと けむし)

蜂
尻焼 猿人(*しりやけの さるんど)
こハごハに とる蜂のすの あなにえや
うましをとめを みつのあぢ
*尻焼 猿人。
俳号は酒井 抱一(さかい ほういつ)で、
江戸後期の絵師。
毛虫
四方 赤良(*よもの あから)
毛をふいて きずやもとめんさしつけて
きみがあたり にはひ かかりなば
*四方 赤良。
大田 南畝(おおた なんぽ)の別号。
有能な幕臣でもあり、天明調狂歌の基礎
を作った。
【*狂歌を楽しむ】
恐々(おそるおそる)に獲る蜂の巣の穴に
入り得た。
甘き乙女の密の味わい。
毛を吹いて傷を求めん(諺)と近寄る。
君の辺りに、這い、ひっかかるのか。
◆02・馬追虫と むかで

馬追虫
唐衣 橘州(からごろも きっしゅう)
夜々ハ 馬おひむしの ねにぞなく
君に心の はつな のはして
*唐衣 橘州
本名は小島 源之助。
酔竹庵と号する。
天明狂歌壇の中心的人物。
むかで
鹿都部 真顔(しかつべの まがお)
ねがハくバ 君がつばきに とけとけと
とけて ねぶとの 薬もかな
*鹿都部 真顔
鹿津部 真顔とも書く。
通称は北川 嘉兵衛、紀 真顔と号する。
狂歌を俳諧歌と改称して和歌の優雅さを
もたせようとした。
大田南畝引退後の狂歌界の中心人物。
◆03・けらと はさみむし

けら
耶奈伎波良 牟加布(*やなぎはら むこう )
あだしミハ けらてふ虫やいもとせの
ゑんのしたやに ふかいりをして
*耶奈伎波良 牟加布
柳原ムカウ(原柳生)で知られる。
はさみむし
桂 眉住(かつらの まゆずみ)
ミし人を 思ひきるにも きれかぬる
はさみむしてふ 名こそ鈍けれ
【*狂歌を楽しむ】
はかない我が身は「けら」のようである。
縁の下に深入りして。
愛する人を想いきるも断ち切れない。
ハサミ虫の名前とは裏腹に。
(ケラは筍の下で肩を落とし、
ハサミ虫は筍の上でトゲある薔薇を見る)
◆04・蝶と蜻蛉

蝶
稀 年成(まれな としなり)
夢の間ハ 蝶とも化して 吸いてミむ
恋しき人の 花のくちびる
蜻蛉
一富士 二鷹(*いちふじ にたか)
人こころ あきつむしとも ならばなれ
はなちハ やらじ とりもち
【*狂歌を楽しむ】
夢の間は、せめて蝶となり
吸ってみたい。
恋しき人の 花の唇を。
あの人の心、あきつむし(秋津虫)に
なればよい。
放しはしないトリモチで。
◆05・虻と芋虫

虻
紀 定丸(きの さだまる)
耳のきハの虻とや 人の いとふらん
さしてうらみむ はりももたねば
*紀 定丸は江戸後期 の狂歌師。
大田南畝[四方 赤良(よもの あから)]の甥。
芋虫
條門 橘丸(じょうもん きつまる)
いも虫に 似たりや 似たりや ころころと
わかれぢ さむき 舟の小蒲団
◆06・松虫

土師 掻安(はじの かきやす)
蚊屋つりて 人まつ虫ハ なくばかり
なに おもしろき ねところじ
蛍
酒楽齋 滝麿(しゅらくさい たきまろ)
佐保川の 水も汲みます 身ハ蛍
中よしのはの くされゑんとて
【*狂歌を楽しむ】
蚊帳を吊り待つ女は、ただ泣くばかり、
何も面白くない。
松虫の声のように。
佐保川の水汲む私は蛍のようなもの。
あなたとの仲のよさが。
くたされた葭(よし)のような
腐れ縁となっても。
*手描き友禅で描く。
◆07・ばったと蟷螂

ばった
意気躬 黒成(*いきみ くろなり)
おさへたる ばつたと思ふ 待夜半も
ただつま戸のミ きちきちと なく
蟷螂
浅草 市人(*あさくさの いちんど)
くつがへる 心としらで かま首を
あけて 蟷螂の おのばかりまつ
【*狂歌を楽しむ】
抑えたと思ったバッタが、あなたを待つ夜。
ただ妻戸だけが、ギチギチと鳴く(泣く)。
心変わりを知らず、鎌首を挙げる。
蟷螂の斧を待つばかり。
◆8・ひぐらしと くも

ひぐらし
百喜齋 森角(*ひゃっきさい もりかど)
人目よし ちよつとここのまに 抱きついて
せハしなきねハ ひぐらし かそも
くも
つぶり光
ふんどしを しりよりさげて ねやの巣へ
よばひかかれる くものふるまひ
*つぶり光
狂歌名は頭光(つぶりのひかり)など。
岸 文笑(きし ぶんしょう)、
姓名は岸、名は誠之。俗称は宇右衛門。
頭が早く禿げたためにこの名を称したが
天明狂歌四天王の一人として著名であった。
◆09・赤蜻蛉といなご

赤蜻蛉
朱楽 管江(*あけら かんこう)
しのぶより 声こそたてね 赤蜻蛉
をのがおもいに 痩ひこけても
*朱楽 管江
狂歌師。
大田南畝、唐衣橘洲と共に
天明狂歌ブームを築く。
本名は山崎景基(後に景貫と改名)。
いなご
軒端 杉丸(*のきばの すぎまる)
露ばかり 草のたもとを ひきみれば
いなごのいなと 飛のくぞうき
*画像のトンボの羽は、白雲母(しろきら)摺り
である。
◆10・蛇と蜥蜴

蛇
千枝 鼻元(*ちえだの はなもと)
かきおくる 文も とぐろを まき紙に
つもる思ひの たけハ ながむし
とかげ
問屋 酒船(*とんやの さかふね)
きらハるる うらみや色も 青とかげ
葛葉ならねど 這まとふらん
【*狂歌を楽しむ】
書き送る手紙は、蛇のようにドクロ卷く。
募る想いの丈(たけ)が長いように。
嫌われた恨みのせいか、青とかげの色は。
葛(くず)の葉のように、這い惑う。
蛇の鱗の部分には、雲母をかけて
輝かす摺り法を施している。
◆11・蓑虫と兜虫

蓑虫
立花 裏也(*たちばなの うらなり)
暗の夜に 西ハどちやら わかねども
しのぶあまりの かくれミのむし
兜虫
唐来 三和(*とうらい さんな)
恋しなば 兜虫とも なりぬべし
しのびの緒さへ きれはてし身は
【*狂歌を楽しむ】
暗い夜に、西がどちらか分からない。
想いを偲ぶ余り、隠れてしまう蓑虫。
恋すれば、蓑虫のようになってしまうだろう。
忍びの緒さええ切れる、この身は。
◆12・蝸牛と轡虫

蝸牛
高利 苅主(*こうりの かりぬし)
はれやらぬ その空言に かたつぶり
ぬるぬるほど 猶 つのや 出しけん
轡虫
貸本 古喜(*かしほんの ふるき)
かしましき 女に 似たる くつわ虫
なれも ちりりん きにやなく
◆13・きりぎりすと蝉

きりぎりす
倉部 行澄(*くらべの ゆきすみ)
さのミにハ 鳴音なたてぞ きりぎりず
ふか入壁も 耳の ある世に
蝉
三輪 杉門(*みわの すぎかど)
うき人の こころハ蝉に 似たりけり
声ばかりして すがた みせねば
◆14・蚓(ミミズ)と こうろぎ

蚓(ミミズ)
一筋 道成(*ひとすじの みちなり)
よる昼も わからでまよふ 恋のやミ
きみをみみずの ねを のみぞなく
こうろぎ
此道 くらき(*このみちの くらき)
此道くらき こうろぎの すねとや人の思ふらん
うらむ まもなく おれてミすれば
◆15・蛙と こがねむし

蛙
宿屋 飯盛(*やどやの めしもり)
人づてに くどけと 首を ふるいけの
かいるのつらへ 水くき ぞうき
*宿屋 飯盛
石川雅望(いしかわ まさもち)の
狂歌師名。
和漢の書に精通する狂歌師中の学者。
こがねむし
小簾 菅枝(*こすの すげき)
あハれとも ミよ まくらかの こがねむし
こがるるたまの ひよるの床
◆最終頁

次回は、「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 14・第19章 に続きます。
https://kyotoshiryo.seesaa.net/article/202105article_3.html
(図は全て底本・著作権満了のものより)
青楼画家 歌麿
●18章
「絵本虫撰」の中で、睡蓮(すいれん)中で蛙が戯れる図や蜥蜴(とかげ)が蛇に追われる図などは実に異常な絵である。
そして、この摺物絵本のうちに青虫とか、バッタとかが、やさしい青色の葉の上とか、あるいは満開の花の間とか、から浮き出していることに私共は気がつく。
また、その中にはカブト虫の青銅色で、また蜻蛉(かげろう)の翼がきらきら輝いたエメラルド色の恰も(あたかも)私共の目を偽る沙(ろ)のような感じさえ与えるものもある。
最後に、これらの図の彩色が実に最善功名であるために、実際の交戦がそれらの上に当たっているように思われることを云いたい。
―――――――
(参考)
●江戸後期の浮世絵・喜多川 歌麿
「画本虫ゑらみ」二冊
喜多川歌麿 筆、
宿屋飯盛(石川雅望)撰
(蔦屋重三郎、 天明8年[1788])
(著作権満了)
表紙
―――――――
【本文続き】
しかし本画本の奇跡的に完全な色彩の他に、歌麿の芸術を研究するフランス人の人々にとって、本書に全く独特な興味が存在する。
何故ならば、本絵本の巻頭に鳥山 石燕(とりやま せきえん)と云う歌麿の師匠が書いた序文が載っているからである。
かれは、この若い彼の愛する門人、すなわち、歌子の自然の観察を賞賛している。
(*鳥山) 石燕は歌麿を親しく哥子と呼んでいる。彼は、こう書いている。
「ものの生命を精神的に伝え、筆にその外形的構成を描くと云うことは、すなわち、絵画の法則である。
我が弟子 歌麿が今、出帆した絵本は、虫類の生命を写したもので、心画と云って差支え
ない。
私が昔のことを追走すると、歌麿は幼少時代から事物の最も微細なものをよく観察した
ものであった。
それ故、彼が庭にいた時は、虫どもを追い回していたので、蟋蟀(こおろぎ)、バッタの類を捕えては掌(てのひら)に載せて、戯れながら観察するのが好きであった。
私は彼が生物を殺す癖がつきわしないかと云う不安のために、何度、彼を叱ったか知れなかった。
彼が大きい絵画的才能を獲得した今日となってみると、それらの研究が彼の職業の名誉を作る根本となったのである。
実際、彼はその作品で玉虫の光沢を奪った、全く昔の画家をして顔色をそのようにした。
彼はこの芸術戦のために、蟷螂(カマキリ)の鎌を借り、又、地中に穴を掘る蚯蚓(ミミズ)を利用した。
彼は暗い自然の神秘を照らすために蛍の光になった。
また彼は、蜘蛛(クモ)が巣の糸を解くように芸術の端緒を解(ほぐ)したのである。
彼は本書に諸先輩の狂歌合を入れることを徳とした。
この木版彫刻は、藤一宗が鑿(ノミ)を与えたのである。
天明(1787年)7年の冬
鳥山 石燕 書 」
本序文が浮世絵派の革命的宣言であり、狩野・土佐の伝流派に対する反抗であることは明瞭である。

【訳文】
彩色摺「絵本虫撰▲」大本二冊は、天明8年耕書堂 蔦屋 重三郎開板である。
*▲ 底本では、「絵本蟲撰」と表記されているが、原本では、「画本蟲(えほんむし)ゑらみ 完」となっている。
上下二巻に分かれ、
その上巻に「松虫と蛍」「ばった と蟷螂(*カマキリ)」「蜂と毛虫」「馬追虫と むかで」「けらと はさみむし」「蝶と蜻蛉」「虻(*アブ)と芋虫」「ひくらし と蜘蛛」の諸図を含み、
下巻に「蛇と とかげ」「赤蜻蛉と いなご」「蓑虫と兜虫」「蝸牛と蟹」「きりぎりすと蝉」「蚯蚓(*みみず)とこほろぎ」「蛙と こかねし」の諸図が入っている。
以上の各図に二首ずつの狂歌が記入されている。
この花鳥虫魚の図は歌麿一大の傑作で彼の写生力を遺憾なく説明し尽くしている。
―――――――
(序文の画像)
―――――――
「心に生をうつし、筆に骨法を画くは画法にして、今 門人 歌麿の顕はす虫中の生を写すは是れ心画なり。
哥子 幼昔 物事に細かく成るが、ただ戯れに秋 甲虫を撃(たた)き、はたはた蟋蟀(こおろぎ)を掌(てのひら)にのせ遊びて、余念なし。
即ち 其(その)生を むさぼらんことを恐れて、あまた たびいましめしに、今の筆策 誠に業の徳を かかやかせしは、玉虫の つやを奪ひ、古画を辱(はずか)しめて、車に向ふ蟷螂(*カマキリ)の鎌をかりて、蚯蚓(*みみず)の土を穿ち(うがち・*穴をあけること)そのさひはつをたたさんと、棒ふりのふりよき図に、くらき初心、蛍の光りに此道をてらし、蜘蛛の巣の糸口をとけと、諸君の狂歌合にたり、彫巧、藤 一宗が刀は、桜木にものして、其 起を ことわりせよと、乞ふにまかせて、
天明七ひつし(*羊)の冬
鳥山 石燕 書 」
日本における この種の文章は、概して文字が遊戯に堕したものが多くて、その価値は乏しいのである。
しかし、この(*鳥山) 石燕の文章は歌麿研究の上に一、二、重要な点を明らかにしている。
故に、これは軽視すべきものではない。
第一に歌麿は、(*鳥山) 石燕の倅(せがれ)でなくて門人にすぎなかった事が、ここに明瞭になっている。
また、歌麿と、(*鳥山) 石燕の関係は、幼少時代からであったであろう、と思われる点である。
今日、(*鳥山) 石燕の絵画は、そう価値があるものとは思われないが、彼がこの文章一つで歌麿と名を連ねて自らを不朽ならしめた、と云う事は、確かに不思議な幸運であった、と云っていい。
*以下、参考
この「画本虫ゑらみ」では、先述の鳥山 石燕 の序文に続いて宿屋 飯森の序文が以下のようにある。
「けふなんはつき十四日の夜
野辺にすたく虫の聲きかんと
例のたはむれたる友と
ちかたみにひきゐて
両国の北 よしはら(*吉原)の東
鯉ひさく庵さきのほとり(*畔)
隅田のつつみに氈うち敷て
をのをのの虫のねたん(*値段) の
たかき ひきくを(*高き、低きを)
さためんとす(*定めんとす。)
故ありて 酒と妓とを いましめたれは
わき女よりはしはむしのゑんとや
いふへき(*云うべき)なにかしの寺の
ねふち(*値打)の聲 むしの音に
ましりて ほのきこゆるなと
かのくえんしの建立ありし姫宮の持佛同も
思ひ出られてあはれなり
されは朝市のふるものあつかよ
人いふめれと たた にやとて 長埇子の
えらひ給へる諸虫 歌あはせの跡を追て
恋のこころのされ歌をのへは侍るにと
かくして夜もふけ侍し 江山風月
常のあるしなけれは 地しろをせむる
大屋もあらねと 草のむしろのまろうとゐは
なく虫こそあるしなれとて つゆけき方に
うちむかひて(*打ち向ひて)ねもころに
ぬかつきて 立ぬこれなん 三百六十の
ひとつなかまのいやなりけらし
宿屋 飯盛 しるす 」
(以下、画像が続く)
◆01・蜂と毛虫
(はちと けむし)
蜂
尻焼 猿人(*しりやけの さるんど)
こハごハに とる蜂のすの あなにえや
うましをとめを みつのあぢ
*尻焼 猿人。
俳号は酒井 抱一(さかい ほういつ)で、
江戸後期の絵師。
毛虫
四方 赤良(*よもの あから)
毛をふいて きずやもとめんさしつけて
きみがあたり にはひ かかりなば
*四方 赤良。
大田 南畝(おおた なんぽ)の別号。
有能な幕臣でもあり、天明調狂歌の基礎
を作った。
【*狂歌を楽しむ】
恐々(おそるおそる)に獲る蜂の巣の穴に
入り得た。
甘き乙女の密の味わい。
毛を吹いて傷を求めん(諺)と近寄る。
君の辺りに、這い、ひっかかるのか。
◆02・馬追虫と むかで
馬追虫
唐衣 橘州(からごろも きっしゅう)
夜々ハ 馬おひむしの ねにぞなく
君に心の はつな のはして
*唐衣 橘州
本名は小島 源之助。
酔竹庵と号する。
天明狂歌壇の中心的人物。
むかで
鹿都部 真顔(しかつべの まがお)
ねがハくバ 君がつばきに とけとけと
とけて ねぶとの 薬もかな
*鹿都部 真顔
鹿津部 真顔とも書く。
通称は北川 嘉兵衛、紀 真顔と号する。
狂歌を俳諧歌と改称して和歌の優雅さを
もたせようとした。
大田南畝引退後の狂歌界の中心人物。
◆03・けらと はさみむし
けら
耶奈伎波良 牟加布(*やなぎはら むこう )
あだしミハ けらてふ虫やいもとせの
ゑんのしたやに ふかいりをして
*耶奈伎波良 牟加布
柳原ムカウ(原柳生)で知られる。
はさみむし
桂 眉住(かつらの まゆずみ)
ミし人を 思ひきるにも きれかぬる
はさみむしてふ 名こそ鈍けれ
【*狂歌を楽しむ】
はかない我が身は「けら」のようである。
縁の下に深入りして。
愛する人を想いきるも断ち切れない。
ハサミ虫の名前とは裏腹に。
(ケラは筍の下で肩を落とし、
ハサミ虫は筍の上でトゲある薔薇を見る)
◆04・蝶と蜻蛉
蝶
稀 年成(まれな としなり)
夢の間ハ 蝶とも化して 吸いてミむ
恋しき人の 花のくちびる
蜻蛉
一富士 二鷹(*いちふじ にたか)
人こころ あきつむしとも ならばなれ
はなちハ やらじ とりもち
【*狂歌を楽しむ】
夢の間は、せめて蝶となり
吸ってみたい。
恋しき人の 花の唇を。
あの人の心、あきつむし(秋津虫)に
なればよい。
放しはしないトリモチで。
◆05・虻と芋虫
虻
紀 定丸(きの さだまる)
耳のきハの虻とや 人の いとふらん
さしてうらみむ はりももたねば
*紀 定丸は江戸後期 の狂歌師。
大田南畝[四方 赤良(よもの あから)]の甥。
芋虫
條門 橘丸(じょうもん きつまる)
いも虫に 似たりや 似たりや ころころと
わかれぢ さむき 舟の小蒲団
◆06・松虫
土師 掻安(はじの かきやす)
蚊屋つりて 人まつ虫ハ なくばかり
なに おもしろき ねところじ
蛍
酒楽齋 滝麿(しゅらくさい たきまろ)
佐保川の 水も汲みます 身ハ蛍
中よしのはの くされゑんとて
【*狂歌を楽しむ】
蚊帳を吊り待つ女は、ただ泣くばかり、
何も面白くない。
松虫の声のように。
佐保川の水汲む私は蛍のようなもの。
あなたとの仲のよさが。
くたされた葭(よし)のような
腐れ縁となっても。
*手描き友禅で描く。
◆07・ばったと蟷螂
ばった
意気躬 黒成(*いきみ くろなり)
おさへたる ばつたと思ふ 待夜半も
ただつま戸のミ きちきちと なく
蟷螂
浅草 市人(*あさくさの いちんど)
くつがへる 心としらで かま首を
あけて 蟷螂の おのばかりまつ
【*狂歌を楽しむ】
抑えたと思ったバッタが、あなたを待つ夜。
ただ妻戸だけが、ギチギチと鳴く(泣く)。
心変わりを知らず、鎌首を挙げる。
蟷螂の斧を待つばかり。
◆8・ひぐらしと くも
ひぐらし
百喜齋 森角(*ひゃっきさい もりかど)
人目よし ちよつとここのまに 抱きついて
せハしなきねハ ひぐらし かそも
くも
つぶり光
ふんどしを しりよりさげて ねやの巣へ
よばひかかれる くものふるまひ
*つぶり光
狂歌名は頭光(つぶりのひかり)など。
岸 文笑(きし ぶんしょう)、
姓名は岸、名は誠之。俗称は宇右衛門。
頭が早く禿げたためにこの名を称したが
天明狂歌四天王の一人として著名であった。
◆09・赤蜻蛉といなご
赤蜻蛉
朱楽 管江(*あけら かんこう)
しのぶより 声こそたてね 赤蜻蛉
をのがおもいに 痩ひこけても
*朱楽 管江
狂歌師。
大田南畝、唐衣橘洲と共に
天明狂歌ブームを築く。
本名は山崎景基(後に景貫と改名)。
いなご
軒端 杉丸(*のきばの すぎまる)
露ばかり 草のたもとを ひきみれば
いなごのいなと 飛のくぞうき
*画像のトンボの羽は、白雲母(しろきら)摺り
である。
◆10・蛇と蜥蜴
蛇
千枝 鼻元(*ちえだの はなもと)
かきおくる 文も とぐろを まき紙に
つもる思ひの たけハ ながむし
とかげ
問屋 酒船(*とんやの さかふね)
きらハるる うらみや色も 青とかげ
葛葉ならねど 這まとふらん
【*狂歌を楽しむ】
書き送る手紙は、蛇のようにドクロ卷く。
募る想いの丈(たけ)が長いように。
嫌われた恨みのせいか、青とかげの色は。
葛(くず)の葉のように、這い惑う。
蛇の鱗の部分には、雲母をかけて
輝かす摺り法を施している。
◆11・蓑虫と兜虫
蓑虫
立花 裏也(*たちばなの うらなり)
暗の夜に 西ハどちやら わかねども
しのぶあまりの かくれミのむし
兜虫
唐来 三和(*とうらい さんな)
恋しなば 兜虫とも なりぬべし
しのびの緒さへ きれはてし身は
【*狂歌を楽しむ】
暗い夜に、西がどちらか分からない。
想いを偲ぶ余り、隠れてしまう蓑虫。
恋すれば、蓑虫のようになってしまうだろう。
忍びの緒さええ切れる、この身は。
◆12・蝸牛と轡虫
蝸牛
高利 苅主(*こうりの かりぬし)
はれやらぬ その空言に かたつぶり
ぬるぬるほど 猶 つのや 出しけん
轡虫
貸本 古喜(*かしほんの ふるき)
かしましき 女に 似たる くつわ虫
なれも ちりりん きにやなく
◆13・きりぎりすと蝉
きりぎりす
倉部 行澄(*くらべの ゆきすみ)
さのミにハ 鳴音なたてぞ きりぎりず
ふか入壁も 耳の ある世に
蝉
三輪 杉門(*みわの すぎかど)
うき人の こころハ蝉に 似たりけり
声ばかりして すがた みせねば
◆14・蚓(ミミズ)と こうろぎ
蚓(ミミズ)
一筋 道成(*ひとすじの みちなり)
よる昼も わからでまよふ 恋のやミ
きみをみみずの ねを のみぞなく
こうろぎ
此道 くらき(*このみちの くらき)
此道くらき こうろぎの すねとや人の思ふらん
うらむ まもなく おれてミすれば
◆15・蛙と こがねむし
蛙
宿屋 飯盛(*やどやの めしもり)
人づてに くどけと 首を ふるいけの
かいるのつらへ 水くき ぞうき
*宿屋 飯盛
石川雅望(いしかわ まさもち)の
狂歌師名。
和漢の書に精通する狂歌師中の学者。
こがねむし
小簾 菅枝(*こすの すげき)
あハれとも ミよ まくらかの こがねむし
こがるるたまの ひよるの床
◆最終頁
次回は、「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 14・第19章 に続きます。
https://kyotoshiryo.seesaa.net/article/202105article_3.html
京都市内の史蹟を、観光目的を兼ねて歴史を織り混ぜながら、紹介していくものです。
京都市内の史蹟を、観光目的を兼ねて歴史を織り混ぜながら、紹介していくものです。


この記事へのコメント