「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 12・第17章
本篇は、ゴンクール著・歌麿(明治24年、出版)野口 米次郎 訳(昭和4年、刊行)の底本を、あくまで趣味的に、現代語訳で読み解くものです。
(図は全て底本・著作権満了のものより)
青楼画家 歌麿
● 17章
日本の女性は、いずれも小さくて、まるまるとしている。
歌麿は、それを印象的に取り扱って、すらりとした女性の一様式を創造した。
歌麿以前の鳥居清長も歌麿のような様式をとって、女性の体を実際よりも幾分、大きくした(*描いた)のではある。
しかし、女性の肉付きがよく太っていたように描いている。
日本の女性の顔はどうかと云うに、その寸法が幅ったくフランスの安物のお面に見る様な平べったさがある。
輪郭の浮き出ている特徴においても力が弱く、黒目の優しい生き生きとした点を除くと、その顔は(*鈴木)晴信・(*磯田)湖龍斉・(*勝川)春章の女性に見るような円い型のものばかりである。
ところで実際、その顔を歌麿は長めの円形としたのである。
そもそも在来、日本画家の描いた人間の顔はことごとく宗教的な伝統主義に支配されていた。
すなわち眼を描くにしても、二つの細円い線のなかにひとつの小さい点を打つだけであった。
鼻にしても鷲の嘴(くちばし)のように曲がった筆線によってであった。
しかもこの様式の鼻を日本人のすべての鼻に適用している。
口は二つの小さい花の花弁に似たようなものに描いたのである。
しかるに歌麿は、この伝統的な人間らしくない顔に、小気味よい優美、純真な驚き、精神的な内容を滑り込ませた第一者である。
そして彼は、正常な線と形を全て与えて、これまでの人間描写にみられないような人間的な線と形とにした第一者である。
その適例は彼の全盛時代を飾るある作品のうちに見られる。
それらの線で描かれた姿を眺めていると、諸君が殆ど普遍的な宗教的伝統主義からでた顔にみることの出来ない生命のある真実の肖像だと感ぜざるを得ない。
それは奇跡的に彼の画に顕われた特殊な人間の容貌となったのである。
最後に日本国の美術史中、芸術家の目的とする女性の再現、そのことに対する無益な手法の中にあって、歌麿は女性を、ことに優美なものとすることに努力し、一言で云えば理想化することを主として、しかもそれに最も成功した画家である。
彼は女性描写の理想主義的画家であって、しかも特殊なその種の画家であった。
彼(*歌麿)の理想主義は作品の形式に、その肉体描写に、その解剖学的構成に証明され、人物の挙動、すなわち優雅な人間の身振りに対する最も自然主義的な画家であったことを全てに表現している。
そして歌麿の女性研究が殆ど常に青楼の女性にあって、云うまでもなく彼が理想化したものは皆、遊女であった。
日本人の言葉に従えば、彼・歌麿は、遊女を「女神とした」のである。
歌麿は鳥類や爬虫類や貝殻などを、それは実際に小さい自然の現象であるが、それらを最も正確に最も確実に、また最も写真的に描こうと企てて、そして最も立派な描き手となった。
しかし、このことは理想的美人画家に対し、殆ど本当らしくない信じられない不思議な事柄である。
また彼がその当時、その種の最も緻密な博物学的な、同時に最も芸術的な画家となろうと希望したと云うことに対しても奇異な感がなきを得ない。
彼の自然の生物などを取り扱った作品は次の三絵本の中に見ることが出来る。
「絵本百千鳥」「絵本虫撰」「汐干のつと」これらは実際に、ヨーロッパのいかなる国においても到底、印刷することが出来ないほど精巧無比の木版印刷によって創られたデッサンである。
今「絵本百千鳥」を見ると、かれは単に青味を帯びた水彩の最も細い筆を用いている。
(*題名に「絵本」と付くのは後刷りの可能性が高い。)
「雀と鳩」の一葉は実際に私共を惹きつけるもので、また素晴らしいものとしては、「鴨と翡翠(かわせみ)」を私は挙げたい。
この図の翡翠(かわせみ)は体の半分を水中につけているが、それが巧みにぼかされ色の消えて行く具合は、得も云うことの出来ない妙味がある。
(*「鴨と翡翠(かわせみ)」の画像では、翡翠は体の半分を水中につけておらず水草の上に止まっており、説明文に合致するものは下記の「鵜と鷺」で、ゴンクールが「鵜の画像」と取り違えている可能性が高い。)
鵜と鷺

【訳注】
彩色摺「百千鳥」大本二冊は寛政初年耕書堂・蔦屋 重三郎 開板である。
その芸術的価値は「絵本虫撰」ほど高いものではない。
その前編には、「雀と鳩」「木兎と鷲」「鵜と鷺(さぎ)」「四十雀と こまどり」「かし鳥と鴟鴞(しきょう・*フクロウの異名)」「鴨と翡翠(かわせみ)」「鷹と百舌」などが
含まれている。
また後編には「ゐなかと目白」「山雀と鶯」「鶉(うずら)と雲雀(ひばり)」「まめまはしと 木つつき」「山鳥と鶉鴒(うずられい)」「燕と雉子(きぎす)」「鷦鷯(しょうろう・みそさざい の別名)と鴫(しぎ)」「鶏と頬白(ほうじろ)」などの絵が入っている。
前編の序文を書いた人は、赤松金鶏である。
それに云うには、
「それ ももちどり(*百千鳥)の春にさゑづり、
わたり(*渡り)鳥の秋にゝせる、(*似せる)
いづれか心をなぐさ(*慰)め、
耳をよろこ(*喜)ばしめざらせんや。
そか中に、五彩のはね(*羽)を
いろと(*彩)れる、むら(*群)どりの、
たちゐのさま(*起ち居の様)を、
とりがなく(*鳥が鳴く)
あづまにしき(*東錦)絵に、
きた川(*喜多川)か筆にそめ(*染め)、
飛鳥のあすかの花にめて、
みやことりの(*都鳥の)、
すみた乃(*隅田の)月に、
うかるる され歌を(*戯れ歌を)
くはへて(*加えて)、一まき(*巻)とし、
鳥のおと(*音)ひさしくと(*久しくと)
とまりとて(*止まりとて)なん、
かくはかり出ぬるも、思えは
くちはし(*くちばし・嘴)青くして、
とさか(*鶏冠)の色のみ、
赤まつ(*赤松)の金鶏ら かくたかけ乃
もりの子をみて、
うは玉の夜をとき(*時)
なけん(*鳴けん)事を、
もとむ(*求む)とか いへる(*云える)
大鵬乃そしりをかへりみす(*誹りを顧みず)、
みそささゐのよしきか袖に、
草むすひするものならし。
上毛、赤松 金鶏 」
又、後編にも同人(*赤松金鶏)の序がついて
いるが、それとても「画本虫撰」の序文
ほどの価値がない。
歌麿の図の実写生の生み出すところの新鮮味
と現実性とを欠いているように感じられる。
その図の多くのものは古来から種本を
焼き直したものであろうと想像される。
*後編の赤松 企鶏の序。
「それあつま(*東)遊びのたはれ(*戯れ)
歌は、世につたへ*(伝え)たる曲とかや
古今後撰の夷曲より吾 吟我集のおかしみ
ありて枕ことは(*詞)の鳥かなくとき
こへしは此編のためにいふなる(*云うなる)
へしとこたみ鳥に関して はなちたる
(*放ちたる)ことのはを おとりとして
みそしあまりの つかひとなれると
きつつきの名も ゆかしけれは とみに梓の
たくみにめいすねかはくは 鶏の脛(*すね)
のなかきよのもてあそひにもと鴨(*旧字)
の脚の短き才をもて赤松の金鶏くたかけの
くたをまき侍(*はべ)るも かの卵にして
時なふ事をいひし(*云いし)むかしの人の
たくひ(*類)ならすや
鳥水隠士 赤松金鶏 」
歌麿の図も、実写生の生み出すところの新鮮味と現実性とを欠いているように感じられる。
その図の多くのものは、古来から種本を焼き直したものであろうと想像される。
―――――――
●参考
江戸後期の浮世絵・喜多川 歌麿
「絵本百千鳥」二冊(全13枚)
(赤松金鶏 選[他] ) (江戸後期)
(著作権満了)
本タイトルでは、現在、「絵本百千鳥」二冊(全15枚)のものが現存していますが、著作権の関係でここでは、(全13枚)ものを掲載します。
ご了承ください。

底本(ゴンクール・歌麿)では、
上述、【訳注】で、(本書の原本は)
・・彩色摺「百千鳥」大本二冊は、
寛政初年 耕書堂・蔦屋 重三郎 開板である・・
とあります。
◆01・鷹と百舌
(たかと もず)

鷹
鷹ならば うき名の外に ぱつとたつ
小鳥ものをのが ゑにしなるべき
赤松金鶏
*赤松 金鶏(あかまつ きんけい)は、
奇々羅金鶏とも称する。
百舌
ひからびし 思いハ百舌の 草ぐきの
つつかけものに なるぞ くやしき
百喜齋(*ひゃっきさい)
◆02・燕と雉子
(つばめと きじ)

燕
酒月 米人(*さかづきの こめんど)
つばめにも身をかへてまし 下紐を
ときはにながく ねんとおもへば
雉子
桐一葉(きりの ひとは)
あふときハ けんもほろゞな返事して
いひ出ん事の はねもすぼめり
◆03・鶉と雲雀
(うずらと ひばり)

鶉
つぶり 光
うずらふの まだらと くどけども
栗の初穂の おちかぬる君
雲雀
大空におもいあがれるひばりさへ
ゆふべハ落ちる ならひこそ あれ
銭屋 金埓(* ぜにや きんらち)
◆04・ゑなが と めじろ
(えながと めじろ)

ゑなが
雛菊丸(*まがきの きくまる)
人の手にかハれよと てちぎらじな
たとへゑながの ゑにつきるとも
めじろ
田原 船積(*たわらの ふなづみ)
口舌して おしだされしミつぶとん
つらきめじろの 鳥ハものか
◆05・鶏と頬白
(にわとりと ほおじろ)

鶏
宿屋 飯盛
かけ香の丁子の口ハとづれども
まかせぬ けさ乃鶏の舌
*宿屋 飯盛(やどやの めしもり)は、
石川 雅望(いしかわ まわもと)の
狂歌師名。
頬白
芦辺 田霞丸(*あしべの たづまる)
色ふくむ君がゑくぼの ほう白に
さしよる恋の とりもちもかな
◆06・四十雀とこまどり
(しじゅうからと こまどり)

四十雀
宝野 敦丸(*たからの あつまる)
四十からと 君に見えてや いたゞきの
色にはちよと つらき御返事
こまどり
麓 近道(*ふもとの ちかみち)
こまどりの 名のミこまなる思いかな
恋の重荷を やるせなき身
◆07・木兎と鶯
(みみずくと うぐいす)

木兎
市 仲住(*いちの なかずみ)
鳥とともに なきつわらひつ くどく身を
それぞときかぬ 君かみゝづく
鶯
うそとよぶ 鳥さへよるハ ぬるものを
とまり木のなき 君の そらごと
笹葉 鈴成(*ささのはの すずなり)
◆08・かし鳥と鴟鶉
(かしどりと しじゅん)

かし鳥
大家 裏住
かし鳥の つたなき声が くどけども
なけども 君の耳に とめぬハ
*大家 裏住(おおやの うらずみ)は、
江戸時代・中期-後期の狂歌師。
かし鳥は、カスケの別名で、つばめ、
ウグイスの別名とも。
鴟鶉(*しじゅん)
寐語軒 美憐(*しんごけん みりん)
ふくろうの めハもちながら いかなれば
よるハくれども ひる ミえぬ 君
◆09・鵜と鷺
(うと さぎ)

鵜
唐来 三和(*とらい さんな)
鳥の名乃 うき名かこたん 川波に
はつと はなしのたねと なりなば
鷺
鹿都部 真顔(*しかつべの まがお)
あふてのちうき名をふるゞからすより
たゞ口さきの へらさぎぞ うき
◆10・鷦鷯と鴨
(しょうりょう[みそ さざい]と かも)

鷦鷯(*しょうりょう)
唐衣 橘洲(*からごろも きっしゅう)
大鵬の たかき心の君ゆへに
うきみそさざる よりもつかれず
鴨
千客 万来(*せんきゃく ばんらい)
ねもやらで 後生大事に まつ夜半の
さびしさまさる 鴨のかんきん
◆11・鳥名なし(雀) と 鳩

鳥名なし(*雀であろうか)
綾 織主(*あやの おりぬし)
さだめなき 君が心の むら雀
つゐにうき名の はつと たつらん
鳩
園 胡蝶(*そのの こりょう)
鳩の杖 つくまで色ハ かハらじな
たがいに年の まめハくふども
◆12・まめまいし と きつつき

まめまハし
朱楽 菅江
忍のに いらざる口の まめまハし
つるさえづりて 名や もらすらむ
*朱楽 菅江(あけら かんこう)。
本名は、山崎景貫。
江戸時代後期の戯作者、狂歌師。
木つつき
篠野玉涌 (*しのの たまわく)
名にたちて 恋にや朽ん 木つつきの
つきくたかるゝ 人の口はし
◆13・山鳥と鶺鴒
(やまどりと しょうりょう[みそ さざい])

山鳥
最中 月鷹(*もなかの つきまろ)
山鳥の ほろほろなみだ せきわびぬ
いく夜かゞみの かげもミせねば
鶺鴒(*せきれい)
万 徳齋(*まん とくさい)
あふた夜に むねのおとりハ なほりても
いまに人目の せきれいハ うし
―――――――
第55図 両国橋下の図
大判錦絵
(底本・著作権満了)
全体図

右端の図

中の図

左端の図

本図は、橋上橋下の6枚物の下の方の3枚だけである。
これは東京博物館の所蔵するところのものだが、その保存法が粗略で日光にだらしなく曝(さ)らしたため、残念ながらその色が褪せている。
しかし、この6枚物が存在しているものを持っている所は、世界を通じて、そう沢山はない、とにかく大事にしてもらいたい。
本 橋下の図のなかで一番価値のある図は右端のもので、船から船へ移ろうとする光景が極めていい。
本全図は云うまでもなく色彩の配合と川船や橋柱や水などの関係上にその画趣ある銘品であることは云うまでもないが、一枚、一枚ばらにして見た方が遥かに引き締まった感じを人に与える。
橋口 五葉氏(*明治末から大正期にかけての文学書装丁家、浮世絵研究者。)は、本図に関してこう書いている。
「初めから大画面を一図に作り、これを六つなり三つなりに切ってやったものでなく、一枚毎に構図をたて、これを続き合わせ、その総合によって大画面をなすの計画をたてたものらしい。
従って続き物の どの一枚をとっても、それだけで図柄が纏(まと)まっており、決して全体のために部分を犠牲に供する様なことはしていない。
寧(*むし)ろ、梢々(*やや)全体を二次的の一に置く観がある。
別々にみればおもしろいが、つなぎ合わせて却って興味の浅くなるものがある。
両国橋の図の如きはその一例である。」
本図の制作年代は寛政9年(*1797年)か10年であろうとされている。
次回は、「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 13・第18章 に続きます。
https://kyotoshiryo.seesaa.net/article/202105article_2.html
(図は全て底本・著作権満了のものより)
青楼画家 歌麿
● 17章
日本の女性は、いずれも小さくて、まるまるとしている。
歌麿は、それを印象的に取り扱って、すらりとした女性の一様式を創造した。
歌麿以前の鳥居清長も歌麿のような様式をとって、女性の体を実際よりも幾分、大きくした(*描いた)のではある。
しかし、女性の肉付きがよく太っていたように描いている。
日本の女性の顔はどうかと云うに、その寸法が幅ったくフランスの安物のお面に見る様な平べったさがある。
輪郭の浮き出ている特徴においても力が弱く、黒目の優しい生き生きとした点を除くと、その顔は(*鈴木)晴信・(*磯田)湖龍斉・(*勝川)春章の女性に見るような円い型のものばかりである。
ところで実際、その顔を歌麿は長めの円形としたのである。
そもそも在来、日本画家の描いた人間の顔はことごとく宗教的な伝統主義に支配されていた。
すなわち眼を描くにしても、二つの細円い線のなかにひとつの小さい点を打つだけであった。
鼻にしても鷲の嘴(くちばし)のように曲がった筆線によってであった。
しかもこの様式の鼻を日本人のすべての鼻に適用している。
口は二つの小さい花の花弁に似たようなものに描いたのである。
しかるに歌麿は、この伝統的な人間らしくない顔に、小気味よい優美、純真な驚き、精神的な内容を滑り込ませた第一者である。
そして彼は、正常な線と形を全て与えて、これまでの人間描写にみられないような人間的な線と形とにした第一者である。
その適例は彼の全盛時代を飾るある作品のうちに見られる。
それらの線で描かれた姿を眺めていると、諸君が殆ど普遍的な宗教的伝統主義からでた顔にみることの出来ない生命のある真実の肖像だと感ぜざるを得ない。
それは奇跡的に彼の画に顕われた特殊な人間の容貌となったのである。
最後に日本国の美術史中、芸術家の目的とする女性の再現、そのことに対する無益な手法の中にあって、歌麿は女性を、ことに優美なものとすることに努力し、一言で云えば理想化することを主として、しかもそれに最も成功した画家である。
彼は女性描写の理想主義的画家であって、しかも特殊なその種の画家であった。
彼(*歌麿)の理想主義は作品の形式に、その肉体描写に、その解剖学的構成に証明され、人物の挙動、すなわち優雅な人間の身振りに対する最も自然主義的な画家であったことを全てに表現している。
そして歌麿の女性研究が殆ど常に青楼の女性にあって、云うまでもなく彼が理想化したものは皆、遊女であった。
日本人の言葉に従えば、彼・歌麿は、遊女を「女神とした」のである。
歌麿は鳥類や爬虫類や貝殻などを、それは実際に小さい自然の現象であるが、それらを最も正確に最も確実に、また最も写真的に描こうと企てて、そして最も立派な描き手となった。
しかし、このことは理想的美人画家に対し、殆ど本当らしくない信じられない不思議な事柄である。
また彼がその当時、その種の最も緻密な博物学的な、同時に最も芸術的な画家となろうと希望したと云うことに対しても奇異な感がなきを得ない。
彼の自然の生物などを取り扱った作品は次の三絵本の中に見ることが出来る。
「絵本百千鳥」「絵本虫撰」「汐干のつと」これらは実際に、ヨーロッパのいかなる国においても到底、印刷することが出来ないほど精巧無比の木版印刷によって創られたデッサンである。
今「絵本百千鳥」を見ると、かれは単に青味を帯びた水彩の最も細い筆を用いている。
(*題名に「絵本」と付くのは後刷りの可能性が高い。)
「雀と鳩」の一葉は実際に私共を惹きつけるもので、また素晴らしいものとしては、「鴨と翡翠(かわせみ)」を私は挙げたい。
この図の翡翠(かわせみ)は体の半分を水中につけているが、それが巧みにぼかされ色の消えて行く具合は、得も云うことの出来ない妙味がある。
(*「鴨と翡翠(かわせみ)」の画像では、翡翠は体の半分を水中につけておらず水草の上に止まっており、説明文に合致するものは下記の「鵜と鷺」で、ゴンクールが「鵜の画像」と取り違えている可能性が高い。)
鵜と鷺
【訳注】
彩色摺「百千鳥」大本二冊は寛政初年耕書堂・蔦屋 重三郎 開板である。
その芸術的価値は「絵本虫撰」ほど高いものではない。
その前編には、「雀と鳩」「木兎と鷲」「鵜と鷺(さぎ)」「四十雀と こまどり」「かし鳥と鴟鴞(しきょう・*フクロウの異名)」「鴨と翡翠(かわせみ)」「鷹と百舌」などが
含まれている。
また後編には「ゐなかと目白」「山雀と鶯」「鶉(うずら)と雲雀(ひばり)」「まめまはしと 木つつき」「山鳥と鶉鴒(うずられい)」「燕と雉子(きぎす)」「鷦鷯(しょうろう・みそさざい の別名)と鴫(しぎ)」「鶏と頬白(ほうじろ)」などの絵が入っている。
前編の序文を書いた人は、赤松金鶏である。
それに云うには、
「それ ももちどり(*百千鳥)の春にさゑづり、
わたり(*渡り)鳥の秋にゝせる、(*似せる)
いづれか心をなぐさ(*慰)め、
耳をよろこ(*喜)ばしめざらせんや。
そか中に、五彩のはね(*羽)を
いろと(*彩)れる、むら(*群)どりの、
たちゐのさま(*起ち居の様)を、
とりがなく(*鳥が鳴く)
あづまにしき(*東錦)絵に、
きた川(*喜多川)か筆にそめ(*染め)、
飛鳥のあすかの花にめて、
みやことりの(*都鳥の)、
すみた乃(*隅田の)月に、
うかるる され歌を(*戯れ歌を)
くはへて(*加えて)、一まき(*巻)とし、
鳥のおと(*音)ひさしくと(*久しくと)
とまりとて(*止まりとて)なん、
かくはかり出ぬるも、思えは
くちはし(*くちばし・嘴)青くして、
とさか(*鶏冠)の色のみ、
赤まつ(*赤松)の金鶏ら かくたかけ乃
もりの子をみて、
うは玉の夜をとき(*時)
なけん(*鳴けん)事を、
もとむ(*求む)とか いへる(*云える)
大鵬乃そしりをかへりみす(*誹りを顧みず)、
みそささゐのよしきか袖に、
草むすひするものならし。
上毛、赤松 金鶏 」
又、後編にも同人(*赤松金鶏)の序がついて
いるが、それとても「画本虫撰」の序文
ほどの価値がない。
歌麿の図の実写生の生み出すところの新鮮味
と現実性とを欠いているように感じられる。
その図の多くのものは古来から種本を
焼き直したものであろうと想像される。
*後編の赤松 企鶏の序。
「それあつま(*東)遊びのたはれ(*戯れ)
歌は、世につたへ*(伝え)たる曲とかや
古今後撰の夷曲より吾 吟我集のおかしみ
ありて枕ことは(*詞)の鳥かなくとき
こへしは此編のためにいふなる(*云うなる)
へしとこたみ鳥に関して はなちたる
(*放ちたる)ことのはを おとりとして
みそしあまりの つかひとなれると
きつつきの名も ゆかしけれは とみに梓の
たくみにめいすねかはくは 鶏の脛(*すね)
のなかきよのもてあそひにもと鴨(*旧字)
の脚の短き才をもて赤松の金鶏くたかけの
くたをまき侍(*はべ)るも かの卵にして
時なふ事をいひし(*云いし)むかしの人の
たくひ(*類)ならすや
鳥水隠士 赤松金鶏 」
歌麿の図も、実写生の生み出すところの新鮮味と現実性とを欠いているように感じられる。
その図の多くのものは、古来から種本を焼き直したものであろうと想像される。
―――――――
●参考
江戸後期の浮世絵・喜多川 歌麿
「絵本百千鳥」二冊(全13枚)
(赤松金鶏 選[他] ) (江戸後期)
(著作権満了)
本タイトルでは、現在、「絵本百千鳥」二冊(全15枚)のものが現存していますが、著作権の関係でここでは、(全13枚)ものを掲載します。
ご了承ください。
底本(ゴンクール・歌麿)では、
上述、【訳注】で、(本書の原本は)
・・彩色摺「百千鳥」大本二冊は、
寛政初年 耕書堂・蔦屋 重三郎 開板である・・
とあります。
◆01・鷹と百舌
(たかと もず)
鷹
鷹ならば うき名の外に ぱつとたつ
小鳥ものをのが ゑにしなるべき
赤松金鶏
*赤松 金鶏(あかまつ きんけい)は、
奇々羅金鶏とも称する。
百舌
ひからびし 思いハ百舌の 草ぐきの
つつかけものに なるぞ くやしき
百喜齋(*ひゃっきさい)
◆02・燕と雉子
(つばめと きじ)
燕
酒月 米人(*さかづきの こめんど)
つばめにも身をかへてまし 下紐を
ときはにながく ねんとおもへば
雉子
桐一葉(きりの ひとは)
あふときハ けんもほろゞな返事して
いひ出ん事の はねもすぼめり
◆03・鶉と雲雀
(うずらと ひばり)
鶉
つぶり 光
うずらふの まだらと くどけども
栗の初穂の おちかぬる君
雲雀
大空におもいあがれるひばりさへ
ゆふべハ落ちる ならひこそ あれ
銭屋 金埓(* ぜにや きんらち)
◆04・ゑなが と めじろ
(えながと めじろ)
ゑなが
雛菊丸(*まがきの きくまる)
人の手にかハれよと てちぎらじな
たとへゑながの ゑにつきるとも
めじろ
田原 船積(*たわらの ふなづみ)
口舌して おしだされしミつぶとん
つらきめじろの 鳥ハものか
◆05・鶏と頬白
(にわとりと ほおじろ)
鶏
宿屋 飯盛
かけ香の丁子の口ハとづれども
まかせぬ けさ乃鶏の舌
*宿屋 飯盛(やどやの めしもり)は、
石川 雅望(いしかわ まわもと)の
狂歌師名。
頬白
芦辺 田霞丸(*あしべの たづまる)
色ふくむ君がゑくぼの ほう白に
さしよる恋の とりもちもかな
◆06・四十雀とこまどり
(しじゅうからと こまどり)
四十雀
宝野 敦丸(*たからの あつまる)
四十からと 君に見えてや いたゞきの
色にはちよと つらき御返事
こまどり
麓 近道(*ふもとの ちかみち)
こまどりの 名のミこまなる思いかな
恋の重荷を やるせなき身
◆07・木兎と鶯
(みみずくと うぐいす)
木兎
市 仲住(*いちの なかずみ)
鳥とともに なきつわらひつ くどく身を
それぞときかぬ 君かみゝづく
鶯
うそとよぶ 鳥さへよるハ ぬるものを
とまり木のなき 君の そらごと
笹葉 鈴成(*ささのはの すずなり)
◆08・かし鳥と鴟鶉
(かしどりと しじゅん)
かし鳥
大家 裏住
かし鳥の つたなき声が くどけども
なけども 君の耳に とめぬハ
*大家 裏住(おおやの うらずみ)は、
江戸時代・中期-後期の狂歌師。
かし鳥は、カスケの別名で、つばめ、
ウグイスの別名とも。
鴟鶉(*しじゅん)
寐語軒 美憐(*しんごけん みりん)
ふくろうの めハもちながら いかなれば
よるハくれども ひる ミえぬ 君
◆09・鵜と鷺
(うと さぎ)
鵜
唐来 三和(*とらい さんな)
鳥の名乃 うき名かこたん 川波に
はつと はなしのたねと なりなば
鷺
鹿都部 真顔(*しかつべの まがお)
あふてのちうき名をふるゞからすより
たゞ口さきの へらさぎぞ うき
◆10・鷦鷯と鴨
(しょうりょう[みそ さざい]と かも)
鷦鷯(*しょうりょう)
唐衣 橘洲(*からごろも きっしゅう)
大鵬の たかき心の君ゆへに
うきみそさざる よりもつかれず
鴨
千客 万来(*せんきゃく ばんらい)
ねもやらで 後生大事に まつ夜半の
さびしさまさる 鴨のかんきん
◆11・鳥名なし(雀) と 鳩
鳥名なし(*雀であろうか)
綾 織主(*あやの おりぬし)
さだめなき 君が心の むら雀
つゐにうき名の はつと たつらん
鳩
園 胡蝶(*そのの こりょう)
鳩の杖 つくまで色ハ かハらじな
たがいに年の まめハくふども
◆12・まめまいし と きつつき
まめまハし
朱楽 菅江
忍のに いらざる口の まめまハし
つるさえづりて 名や もらすらむ
*朱楽 菅江(あけら かんこう)。
本名は、山崎景貫。
江戸時代後期の戯作者、狂歌師。
木つつき
篠野玉涌 (*しのの たまわく)
名にたちて 恋にや朽ん 木つつきの
つきくたかるゝ 人の口はし
◆13・山鳥と鶺鴒
(やまどりと しょうりょう[みそ さざい])
山鳥
最中 月鷹(*もなかの つきまろ)
山鳥の ほろほろなみだ せきわびぬ
いく夜かゞみの かげもミせねば
鶺鴒(*せきれい)
万 徳齋(*まん とくさい)
あふた夜に むねのおとりハ なほりても
いまに人目の せきれいハ うし
―――――――
第55図 両国橋下の図大判錦絵
(底本・著作権満了)
全体図
右端の図
中の図
左端の図
本図は、橋上橋下の6枚物の下の方の3枚だけである。
これは東京博物館の所蔵するところのものだが、その保存法が粗略で日光にだらしなく曝(さ)らしたため、残念ながらその色が褪せている。
しかし、この6枚物が存在しているものを持っている所は、世界を通じて、そう沢山はない、とにかく大事にしてもらいたい。
本 橋下の図のなかで一番価値のある図は右端のもので、船から船へ移ろうとする光景が極めていい。
本全図は云うまでもなく色彩の配合と川船や橋柱や水などの関係上にその画趣ある銘品であることは云うまでもないが、一枚、一枚ばらにして見た方が遥かに引き締まった感じを人に与える。
橋口 五葉氏(*明治末から大正期にかけての文学書装丁家、浮世絵研究者。)は、本図に関してこう書いている。
「初めから大画面を一図に作り、これを六つなり三つなりに切ってやったものでなく、一枚毎に構図をたて、これを続き合わせ、その総合によって大画面をなすの計画をたてたものらしい。
従って続き物の どの一枚をとっても、それだけで図柄が纏(まと)まっており、決して全体のために部分を犠牲に供する様なことはしていない。
寧(*むし)ろ、梢々(*やや)全体を二次的の一に置く観がある。
別々にみればおもしろいが、つなぎ合わせて却って興味の浅くなるものがある。
両国橋の図の如きはその一例である。」
本図の制作年代は寛政9年(*1797年)か10年であろうとされている。
次回は、「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 13・第18章 に続きます。
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京都市内の史蹟を、観光目的を兼ねて歴史を織り混ぜながら、紹介していくものです。
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