「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 9・第15章
本篇は、ゴンクール著・歌麿(明治24年、出版)野口 米次郎 訳(昭和4年、刊行)の底本を、あくまで趣味的に、現代語訳で読み解くものです。
(図は全て底本・著作権満了のものより)
―――――――
● 15章の続き
(本文・続き)
第2巻の「西楼年中行事」には
9枚の挿画が入っている。
一、 八朔の図
二、 良夜の図
三、 倡客初会の図
四、 狎客の図
五、 居つづけの図
六、 後朝きぬきぬの図
七、 倡家の方式
八、 餅つきの図
九、 倡舗張付彩工の図
(*参考図は、青楼絵抄年中行事. 下之巻
十返舎一九 著、紫屋歌麿<喜多川歌麿>筆。
上総屋忠助、享和4(1804)刊。
著作権満了のものより)
★第1図 「八朔の図」(西楼年中行事)
(参考図・17)



毎年、八朔、すなわち8月1日に遊女達に白い着物を着せる儀式がある。
この日、白衣をつけて仲の町を歩く遊女の姿は、時の人の好奇心を唆(そその)かした。
ただ一日の僅(わずか)数時間を飾るために、時の偉大な画家は、その白の着物の上に絵を描かれるものである。
(*尾形) 光琳が絵描いた八朔の着物を有名な薄雲太夫と云う遊女が着たと云うことである。
【訳注】
「此時 白きいろを以て、伊達風流となし白襦子の羽折、白柄の大小など、総て流行のものみな 共に白く、馬も白きを以て候士子弟の秀異とす。
されや 此のさとにも自ら白き衣装を着せしり発り、殊更 八朔には、白帷子を礼服となすことなれば、その日 倡妓のことさらに白衣を着たるが、衆目の視るに称賛せられしより、格例となりて、享和の今に至る迄、毎年 八朔の衣装、白無垢を着し清潔をかざり、越女の幽を欺(*あざむ)く事 得もいふべくもあらず」
(*と、十返舎一九は書いている。)
★第2図 「良夜の図」(*西楼年中行事)
(*参考図・18)



本図は土手八丁を見渡す廓の二階に遊客が月見の宴を張り、夏の良夜をあくまで楽しんでいる場面である
確かに吉原遊女の教育は、彼らをして詩的な感情に豊かなものに作りあげた。
夏の良夜は銀色の微光に包まれ、美しいメランコリックな壮厳美の世界を築いた。
遊女達の優美な感情は悲哀な抒情詩を歌い月の即興女歌人とならせた。
【訳注】
「この夜 座敷々々の造物等 美麗を尽くし、台に木を植え 山を築いて、提灯 星のごとくにつらね、串戯新曲(どうけものまね はやりうた)、たいこ末社の芸づくし、伝吉が妙音松蔵が妙手、七平は滑稽無雅にして おかしく、藤治が三つ指 又 興あり。
盃の影 席上を回り、台積みの山に似て名残を惜む」 と(*十返舎) 一九は書いている。
(本文・続き)
その頃の鶴鳴楼の主人の詩であるとして、(*十返舎) 一九が引用している。
「綺紗燈宵閙如沸、(きぬばりの とうろう ほしのかずより おおし)*絹張りの燈籠、星の数より多し、
月光相対笑聲内、(つきのさえたるざしき にぎやかなり)*月 冴えたる座敷 賑やかなり、
粉頭来往闘芳隣、(けいせいの ではいりは いへごとに)*傾城の 出入りは、家ごとに、
羅綾綢繆通姉妹、(すいものの いしやう としましんぞうをわかち)*粋者の衣装、年増、小妓を分かち、
東家西家有絡盛、(にしもひがしも ざざんさの さはぎ)*西も東も ざざんさ の騒ぎ
装殽飣核自満檠、(さかな くわしはもうせんの うえにみち)*餚、菓子は毛氈(敷物)の上に満ち、
豹胎摩狭鯛氷脆、(あらひ すずき こひのこく しやうなどに)*あらい、スズキ、鯉のこくしやう などに、
烏攬分挽椰玉生、(くだもの ふどう なし りんご)*果物、葡萄、梨、林檎、
琴瑟弾畢自清風、(ことだんじ おはりて しつぽりとなり)*琴、弾じ終わりて、しっぽり と成り、
堂上人語桂花中、(ざしきのはなし つきのまえ)*座敷の話、次の間へ、一般色芸三千戸、(いちようのげいしゃ いちようのけいせい)*一様の芸者、一様の傾城、
亦有愁顔隔てる檣住。(なかにも きゃくなくあんじがほなるもあり)*中にも客なく、案じ顔なるもあり。
【訳注】
ゴンクールの原文に「吾妻」「亀菊」その他、二名の遊女が「月を詠める」の歌と出しているが、原歌が不明であると同時に、普通につまらない廓生活の味気なさを月に寄せて歌ったものに過ぎないから、ここには録さない。
*吾妻太夫の歌。
おもひやる 今宵はたれと 契るらん
定なき世に さだめなき世は
―――――――
第44図 當時全盛美人揃 雛鶴
大判錦絵

本図は「當時全盛美人揃」の一枚である。
これを「六玉川」の雛鶴に比較してみると、どこか、その姿が互いに似ている。
私に歌麿は女性を単に理想的に描いたので、どんな名前が付いていても、それはどうでも
いいと云ったが、彼は必ずしも、そうばかりでは無かったかも知れない。
この雛鶴と云う遊女は、いつも優美に描いてあるところから、本人の性格もほぼ推察される。
それは、とにかくとして、背景は黄、着物の地は赤味がかった鼠色で薄紅の縁がぼかしてある。
もとより派手な絵ではないが、艶美の情調が地味なところから幽(ほの)かに光ると、云える。
本図の製作は寛政8年であろう。
―――――
第45図 當時全盛美人揃 小紫
大判錦絵

本図の妙所は、人物が左の手を袖の中に入れて、煙管を持った態とらしい様子、殊に袖口の描線の旨味にある。
全図の淡雅な配色が濃厚な帯の色で引締められて一段と喜ばしい感じを私共に与える。
しかし、この時代のものを見ると、歌麿の芸術もやや衰えかけて来たかの感なきを得ない。
―――――
(本文・続き)
★第3図 「初会の図」(*西楼年中行事)
(*参考図・19)



遊女が初めての客を振ることは、彼女らの自由である。
その場合を思うと、ここに恐らく捏造したものであろうが、こう云う物語がある。
高尾太夫と云う遊女が一情夫のために仙台侯を振り続けたと云うことである。
侯は、彼女を得るためにあらゆる手段を用いたが、その甲斐がなかった。
ところで、侯は彼女を船遊びに誘い出し、彼女を殺した後で隅田川に投げ入れたそうである。
もし、君が初会に不愛想極まる取扱いを受けても、怒ってはならない。
君は二度目に「裏をかえす」の規定を行い、三度目の訪問で、いわゆる馴染に達することは必要である。
日本人は青楼へ遊んで、その家の着物に着替えることになっているが、それを着れば、誰彼の差別なく、階級は、たちまち消えて、皆、平等になるのである。
【訳注】
「若者客を誘いて座敷に講(こう)じ、盃を出し硯ぶたを運ぶうち、火鉢の火は
漸(ようや)くに起こりかかる、燭台(しょくだい)未だ暗うして四隅に足らず、床の間の前に多葉粉(たばこ)盆推くならべし中に梨地に真鍮(しんちゅう)のかなもの光、火入りの透明(まばゆき)まで きらきらしきは、全盛おしよくの調度にて、まだ見ぬさきに おのづから其主を顕(あら)わしたり。
次に黒塗りの木地には見ゆるども、火入 灰吹ともに不掃除の光を失い、高蒔絵の兀(は)けかかりしは、年明の煙草盆、譲られし女郎にや、但し俗にいう ふうたらべい の質かと思われ、猶 少妓(しんぞう)の回したばこ盆、少し離れて末座にあり、頓(やが)て相方 打連れて席上にすわる」とあって、(*十返舎) 一九は、縦横無尽に吉原文学を振りかざして、遊女の心理を説いている。
第4図 「狎客(いろきゃく)の図」
(*西楼年中行事)



馴染みになると客は、相方とお取善でさし向かい、彼女の紋章のついた茶碗と皿と象牙の箸を用いる。
これは、客と相手とが完全に結婚したことを意味するものである。
客は「馴染」になった時、惣花をその家の奉公人一同に配らざるを得ないが、大きな遊女屋になると50人ぐらいもいるのである。
このように馴染みになった客が、いつか いわゆる居続けをきめ込むようになる。
(*十返舎一九) の文章にこう書いてある。
「色陣の内に迷うは、人情の私にして、ここに陀傺(たさい)するがゆえに、帰路を忘れて居続の碇(いかり)をおろし、得手に帆を十分あげたる床の海に、また舟を漕ぐ女良を寝こかし、起出たる客の顔は かな盥(たらい)に移って青く、軒をうつ雨だれの音はしづけく、湯をふれる禿廻しの群れは、廊下中に響きて高し。」
それから彼(*十返舎一九)は、遊女の部屋生活を こんな具合に書いている。
「この時 火鉢にかかりたる小鍋の蓋泡をふき出し、蓋茶碗に推高く、胡麻揚の付焼は隣座敷のおくり物、所せきまで並べたてて客へすすむ ( *勧める)。
誠や居つづけの遊楽は、事足ずしておのづ(*自) から備り、見るにきくにそのくさぐさする中にも、あわただしく駆込む若者は、埃(ほこり)はたきの無心にきたり。
ひそひそ這入る呉服屋は 雛形紛失の催促をして帰り、紅粉のつきたる爪楊枝に、かかとを つつきし やり手の私言は新造の耳をこすり、敷居にころがる椎の実に、障子のあかぬ(*開かぬ) 髪結のじれこみは、禿(かむろ*子供の髪形。)の身にかかりて危く、大神楽にひかれでる親仁客は、相方 小妓(しんぞう)に付合つて表座敷に欠び(*あくび)をし、迎えに来る茶屋の男は、猫を抱いてやり手部屋に、多葉粉入(*煙草入れ)の底をはたく、頓挫を待つ姉女良(*女郎)、丈長の鉢巻をして すはり(*座り)、告口にまわる部屋持、びんさし(*鬢差)をそ(*反)らして走る。」
(*十返舎) 一九の描写は微に入り、細かさを極めている。
ところで、この居続けの度が重なって、
「女良は客の懐を案じ女良の苦界を察し、節句紋日の相談に身の詰まりとな知恵を震い、はじめ端手に遊びしにひきかえ、今は漸く三度に一度、内芸者を揚げるも痩我慢にして」となり、ついに遊女の狎客となるのである。狎客をもった遊女の身の破滅は狎客と共に悲惨だ。
(*十返舎) 一九は最後に、
「客は 尚更に不都合のことのみ多く、家業も手につかずしておこたり、遂に其身を斃(たお)すにいたる。
古語に妓女に色荒して、情倦忽裘敞れて、金 盡れは(*尽きれば) 亦歓寡して愁殷たり」
と書いている。
第5図 「居つづけの図」(*西楼年中行事)



第5図は、すなわち居続けの客が朝 起きて屋外の雪景色を見ている場面である。
今しがた起きたと云ったような遊女達は部屋の掃除をして、火鉢に炭をついでいる。
禿(かむろ)は洗面の金盥(かなだらい)に湯を入れて持って来るが、それは、お茶を前に置いて庭を眺めている客が顔を洗うためであろう。
第6図 「後朝きぬきぬの図」
(*西楼年中行事)



遊女が男の羽織を後ろから肩に乗せているところや、ある男は頭巾を被って段々を下りようとするところや、坊主が独り、遊女の部屋を出て来るところや、遊女が階段の欄干(らんかん)に両手を乗せて愛想よく 優しい「さよなら」を云っているところや、つまり、出来る限り艶な愛嬌を振りまいて客に別れる場面の図である。
―――――――
第46図 當時全盛美人揃 唐土
大判錦絵

本図は、この揃物のなかで歌麿が手一杯に立派に描いた絵である。
この女性の畳でついている左の手の格好も結構で、それを右の団扇を持った柔らかい手に対照させたところもいい。
体の形が顔より大き過ぎる感はあるが、とにかく、出来の良い如何なる素人が見てもすぐ歌麿と思うことの出来る美人画である。
-―――――
第47図 當時全盛美人揃 花紫
大判錦絵

本図の構図は、一点の非難の打ち所がないほど完全である。
ことに膝の描線や着物の線が目立っていい。
それから、両手を組んだ形に云うに得ない妙味がある。
藍がかった小紋の着物が地味であって体を添えている。
調色、構図、共に結構だが、前に云ったように、ここに歌麿の疲労があるのを見出して一種の悲哀を感じさせられる。
次回は、「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 10・第15章 に続きます。
https://kyotoshiryo.seesaa.net/article/202104article_3.html
(図は全て底本・著作権満了のものより)
―――――――
● 15章の続き
(本文・続き)
第2巻の「西楼年中行事」には
9枚の挿画が入っている。
一、 八朔の図
二、 良夜の図
三、 倡客初会の図
四、 狎客の図
五、 居つづけの図
六、 後朝きぬきぬの図
七、 倡家の方式
八、 餅つきの図
九、 倡舗張付彩工の図
(*参考図は、青楼絵抄年中行事. 下之巻
十返舎一九 著、紫屋歌麿<喜多川歌麿>筆。
上総屋忠助、享和4(1804)刊。
著作権満了のものより)
★第1図 「八朔の図」(西楼年中行事)
(参考図・17)毎年、八朔、すなわち8月1日に遊女達に白い着物を着せる儀式がある。
この日、白衣をつけて仲の町を歩く遊女の姿は、時の人の好奇心を唆(そその)かした。
ただ一日の僅(わずか)数時間を飾るために、時の偉大な画家は、その白の着物の上に絵を描かれるものである。
(*尾形) 光琳が絵描いた八朔の着物を有名な薄雲太夫と云う遊女が着たと云うことである。
【訳注】
「此時 白きいろを以て、伊達風流となし白襦子の羽折、白柄の大小など、総て流行のものみな 共に白く、馬も白きを以て候士子弟の秀異とす。
されや 此のさとにも自ら白き衣装を着せしり発り、殊更 八朔には、白帷子を礼服となすことなれば、その日 倡妓のことさらに白衣を着たるが、衆目の視るに称賛せられしより、格例となりて、享和の今に至る迄、毎年 八朔の衣装、白無垢を着し清潔をかざり、越女の幽を欺(*あざむ)く事 得もいふべくもあらず」
(*と、十返舎一九は書いている。)
★第2図 「良夜の図」(*西楼年中行事)
(*参考図・18)本図は土手八丁を見渡す廓の二階に遊客が月見の宴を張り、夏の良夜をあくまで楽しんでいる場面である
確かに吉原遊女の教育は、彼らをして詩的な感情に豊かなものに作りあげた。
夏の良夜は銀色の微光に包まれ、美しいメランコリックな壮厳美の世界を築いた。
遊女達の優美な感情は悲哀な抒情詩を歌い月の即興女歌人とならせた。
【訳注】
「この夜 座敷々々の造物等 美麗を尽くし、台に木を植え 山を築いて、提灯 星のごとくにつらね、串戯新曲(どうけものまね はやりうた)、たいこ末社の芸づくし、伝吉が妙音松蔵が妙手、七平は滑稽無雅にして おかしく、藤治が三つ指 又 興あり。
盃の影 席上を回り、台積みの山に似て名残を惜む」 と(*十返舎) 一九は書いている。
(本文・続き)
その頃の鶴鳴楼の主人の詩であるとして、(*十返舎) 一九が引用している。
「綺紗燈宵閙如沸、(きぬばりの とうろう ほしのかずより おおし)*絹張りの燈籠、星の数より多し、
月光相対笑聲内、(つきのさえたるざしき にぎやかなり)*月 冴えたる座敷 賑やかなり、
粉頭来往闘芳隣、(けいせいの ではいりは いへごとに)*傾城の 出入りは、家ごとに、
羅綾綢繆通姉妹、(すいものの いしやう としましんぞうをわかち)*粋者の衣装、年増、小妓を分かち、
東家西家有絡盛、(にしもひがしも ざざんさの さはぎ)*西も東も ざざんさ の騒ぎ
装殽飣核自満檠、(さかな くわしはもうせんの うえにみち)*餚、菓子は毛氈(敷物)の上に満ち、
豹胎摩狭鯛氷脆、(あらひ すずき こひのこく しやうなどに)*あらい、スズキ、鯉のこくしやう などに、
烏攬分挽椰玉生、(くだもの ふどう なし りんご)*果物、葡萄、梨、林檎、
琴瑟弾畢自清風、(ことだんじ おはりて しつぽりとなり)*琴、弾じ終わりて、しっぽり と成り、
堂上人語桂花中、(ざしきのはなし つきのまえ)*座敷の話、次の間へ、一般色芸三千戸、(いちようのげいしゃ いちようのけいせい)*一様の芸者、一様の傾城、
亦有愁顔隔てる檣住。(なかにも きゃくなくあんじがほなるもあり)*中にも客なく、案じ顔なるもあり。
【訳注】
ゴンクールの原文に「吾妻」「亀菊」その他、二名の遊女が「月を詠める」の歌と出しているが、原歌が不明であると同時に、普通につまらない廓生活の味気なさを月に寄せて歌ったものに過ぎないから、ここには録さない。
*吾妻太夫の歌。
おもひやる 今宵はたれと 契るらん
定なき世に さだめなき世は
―――――――
第44図 當時全盛美人揃 雛鶴大判錦絵
本図は「當時全盛美人揃」の一枚である。
これを「六玉川」の雛鶴に比較してみると、どこか、その姿が互いに似ている。
私に歌麿は女性を単に理想的に描いたので、どんな名前が付いていても、それはどうでも
いいと云ったが、彼は必ずしも、そうばかりでは無かったかも知れない。
この雛鶴と云う遊女は、いつも優美に描いてあるところから、本人の性格もほぼ推察される。
それは、とにかくとして、背景は黄、着物の地は赤味がかった鼠色で薄紅の縁がぼかしてある。
もとより派手な絵ではないが、艶美の情調が地味なところから幽(ほの)かに光ると、云える。
本図の製作は寛政8年であろう。
―――――
第45図 當時全盛美人揃 小紫 大判錦絵
本図の妙所は、人物が左の手を袖の中に入れて、煙管を持った態とらしい様子、殊に袖口の描線の旨味にある。
全図の淡雅な配色が濃厚な帯の色で引締められて一段と喜ばしい感じを私共に与える。
しかし、この時代のものを見ると、歌麿の芸術もやや衰えかけて来たかの感なきを得ない。
―――――
(本文・続き)
★第3図 「初会の図」(*西楼年中行事)
(*参考図・19)遊女が初めての客を振ることは、彼女らの自由である。
その場合を思うと、ここに恐らく捏造したものであろうが、こう云う物語がある。
高尾太夫と云う遊女が一情夫のために仙台侯を振り続けたと云うことである。
侯は、彼女を得るためにあらゆる手段を用いたが、その甲斐がなかった。
ところで、侯は彼女を船遊びに誘い出し、彼女を殺した後で隅田川に投げ入れたそうである。
もし、君が初会に不愛想極まる取扱いを受けても、怒ってはならない。
君は二度目に「裏をかえす」の規定を行い、三度目の訪問で、いわゆる馴染に達することは必要である。
日本人は青楼へ遊んで、その家の着物に着替えることになっているが、それを着れば、誰彼の差別なく、階級は、たちまち消えて、皆、平等になるのである。
【訳注】
「若者客を誘いて座敷に講(こう)じ、盃を出し硯ぶたを運ぶうち、火鉢の火は
漸(ようや)くに起こりかかる、燭台(しょくだい)未だ暗うして四隅に足らず、床の間の前に多葉粉(たばこ)盆推くならべし中に梨地に真鍮(しんちゅう)のかなもの光、火入りの透明(まばゆき)まで きらきらしきは、全盛おしよくの調度にて、まだ見ぬさきに おのづから其主を顕(あら)わしたり。
次に黒塗りの木地には見ゆるども、火入 灰吹ともに不掃除の光を失い、高蒔絵の兀(は)けかかりしは、年明の煙草盆、譲られし女郎にや、但し俗にいう ふうたらべい の質かと思われ、猶 少妓(しんぞう)の回したばこ盆、少し離れて末座にあり、頓(やが)て相方 打連れて席上にすわる」とあって、(*十返舎) 一九は、縦横無尽に吉原文学を振りかざして、遊女の心理を説いている。
第4図 「狎客(いろきゃく)の図」(*西楼年中行事)
馴染みになると客は、相方とお取善でさし向かい、彼女の紋章のついた茶碗と皿と象牙の箸を用いる。
これは、客と相手とが完全に結婚したことを意味するものである。
客は「馴染」になった時、惣花をその家の奉公人一同に配らざるを得ないが、大きな遊女屋になると50人ぐらいもいるのである。
このように馴染みになった客が、いつか いわゆる居続けをきめ込むようになる。
(*十返舎一九) の文章にこう書いてある。
「色陣の内に迷うは、人情の私にして、ここに陀傺(たさい)するがゆえに、帰路を忘れて居続の碇(いかり)をおろし、得手に帆を十分あげたる床の海に、また舟を漕ぐ女良を寝こかし、起出たる客の顔は かな盥(たらい)に移って青く、軒をうつ雨だれの音はしづけく、湯をふれる禿廻しの群れは、廊下中に響きて高し。」
それから彼(*十返舎一九)は、遊女の部屋生活を こんな具合に書いている。
「この時 火鉢にかかりたる小鍋の蓋泡をふき出し、蓋茶碗に推高く、胡麻揚の付焼は隣座敷のおくり物、所せきまで並べたてて客へすすむ ( *勧める)。
誠や居つづけの遊楽は、事足ずしておのづ(*自) から備り、見るにきくにそのくさぐさする中にも、あわただしく駆込む若者は、埃(ほこり)はたきの無心にきたり。
ひそひそ這入る呉服屋は 雛形紛失の催促をして帰り、紅粉のつきたる爪楊枝に、かかとを つつきし やり手の私言は新造の耳をこすり、敷居にころがる椎の実に、障子のあかぬ(*開かぬ) 髪結のじれこみは、禿(かむろ*子供の髪形。)の身にかかりて危く、大神楽にひかれでる親仁客は、相方 小妓(しんぞう)に付合つて表座敷に欠び(*あくび)をし、迎えに来る茶屋の男は、猫を抱いてやり手部屋に、多葉粉入(*煙草入れ)の底をはたく、頓挫を待つ姉女良(*女郎)、丈長の鉢巻をして すはり(*座り)、告口にまわる部屋持、びんさし(*鬢差)をそ(*反)らして走る。」
(*十返舎) 一九の描写は微に入り、細かさを極めている。
ところで、この居続けの度が重なって、
「女良は客の懐を案じ女良の苦界を察し、節句紋日の相談に身の詰まりとな知恵を震い、はじめ端手に遊びしにひきかえ、今は漸く三度に一度、内芸者を揚げるも痩我慢にして」となり、ついに遊女の狎客となるのである。狎客をもった遊女の身の破滅は狎客と共に悲惨だ。
(*十返舎) 一九は最後に、
「客は 尚更に不都合のことのみ多く、家業も手につかずしておこたり、遂に其身を斃(たお)すにいたる。
古語に妓女に色荒して、情倦忽裘敞れて、金 盡れは(*尽きれば) 亦歓寡して愁殷たり」
と書いている。
第5図 「居つづけの図」(*西楼年中行事)第5図は、すなわち居続けの客が朝 起きて屋外の雪景色を見ている場面である。
今しがた起きたと云ったような遊女達は部屋の掃除をして、火鉢に炭をついでいる。
禿(かむろ)は洗面の金盥(かなだらい)に湯を入れて持って来るが、それは、お茶を前に置いて庭を眺めている客が顔を洗うためであろう。
第6図 「後朝きぬきぬの図」(*西楼年中行事)
遊女が男の羽織を後ろから肩に乗せているところや、ある男は頭巾を被って段々を下りようとするところや、坊主が独り、遊女の部屋を出て来るところや、遊女が階段の欄干(らんかん)に両手を乗せて愛想よく 優しい「さよなら」を云っているところや、つまり、出来る限り艶な愛嬌を振りまいて客に別れる場面の図である。
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第46図 當時全盛美人揃 唐土大判錦絵
本図は、この揃物のなかで歌麿が手一杯に立派に描いた絵である。
この女性の畳でついている左の手の格好も結構で、それを右の団扇を持った柔らかい手に対照させたところもいい。
体の形が顔より大き過ぎる感はあるが、とにかく、出来の良い如何なる素人が見てもすぐ歌麿と思うことの出来る美人画である。
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第47図 當時全盛美人揃 花紫大判錦絵
本図の構図は、一点の非難の打ち所がないほど完全である。
ことに膝の描線や着物の線が目立っていい。
それから、両手を組んだ形に云うに得ない妙味がある。
藍がかった小紋の着物が地味であって体を添えている。
調色、構図、共に結構だが、前に云ったように、ここに歌麿の疲労があるのを見出して一種の悲哀を感じさせられる。
次回は、「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 10・第15章 に続きます。
https://kyotoshiryo.seesaa.net/article/202104article_3.html
京都市内の史蹟を、観光目的を兼ねて歴史を織り混ぜながら、紹介していくものです。
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