「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 8・第15章
本篇は、ゴンクール著・歌麿(明治24年、出版)野口 米次郎 訳(昭和4年、刊行)の底本を、あくまで趣味的に、現代語訳で読み解くものです。
(図は全て底本・著作権満了のものより)
―――――――
● 15章の続き
(本文・続き)
(*「青楼年中行事」第一巻の挿絵)
★第二図 「夜具しき初めの図」
(*参考図・8)
(*以下の参考図は、青楼絵抄年中行事. 上之巻
十返舎一九 著、紫屋歌麿<喜多川歌麿>筆。
上総屋忠助、享和4(1804)刊。
著作権満了のものより)



新しい夜具が客から遊女に与えられると、まず、それを贈られたまま茶屋の店で飾るのである。
茶屋ではシングを貰った遊女を招いて、宴を張り祝辞を述べる。
この場合、遊女の家、すなわち青楼の方から茶屋へ最も立派な坂と最上の酒を贈ることになっている。
そして、夜、その寝具は遊女の部屋へ送り届けられるのであるが、この時、遊女はそれを運んだ男にのみでなく、すべての奉公人に祝儀を出すのである。
そして、その寝具を初めて使用する晩には、彼女は家の人々や仲間の遊女に蕎麦を配る習慣もある。
また一方、客の方でも自分と遊女との組み合わされた紋章、すなわち、この翼紋の染め出された手拭いに祝儀をつけて配る義務がある。
それを貰った使用人達は、いわゆる惣花のお礼として、松竹梅の台肴を彼に送ることになっている。
今、惣花と云う言葉を使ったが、洗練された日本の社交界では、金銭の贈物を花と呼んで
いることに注意してほしい。
その当時、遊興する場合に、人々は金銭問題に関して、一種の羞恥心を持っていた。
客が遊女と遊ぶ時、その懐中から金銭を出してはならない。
また、彼は決して遊女から金をせびってはならない。
実際に、この新しい寝具の日のその寝具が贅沢で、派出で、絢爛なものであった時には、客の評判には最も喜ばしいものであった。
「年中行事」の著者は、こう云っている。
「ここに二本に割れる箸を出すと、もう一本を要求する男があるとする。
また、あら煮を膳に出すと、もっと上等なものを出すように要求する男があるとする・・・
こう云う嫌いな虫の好かぬ男でも、贈物次第で遊女の心を得ることが出来るもの・・」
そして、十返舎 一九は、つけ加えている。
「この社会では、相方の外聞をよくすることが最も根本的に必要だ。
であるから費用に構ってはいけない。
「兎角(とかく)あそびは さきの見えを専一とし、たて引諸わけに わるびれず」
やることだ。
男衆にありがたがられるようにし、彼らに時折、「花」をつかませなくてはいけない。」
【訳注】
(*十返舎) 一九 の原文には、こう書いてある。
「理なる哉、
常に割箸の一本を疑い、あら煮の骨斗なりと私言をいいはる客も、此時 通人の称を蒙る。
それは苦界の身を想像して、さきの名聞を償うなれば、いかでか娼妓の其情を思わざんらんや。
是よりして馴染は、愈々 揚屋町の堀抜と共に深く、名は水道尻の火の見櫓(*やぐら)に
従って倍 高くなり行くなれば、兎角(とかく)遊びは、さきの見えを専一とし、たて引諸譯にわるびれず、紋日の札は人よりもさきに かけさせ、折々の惣花には、中郎以下に其客の名を知らること、相方の外聞 猶更なり。」
―――――――――
第41図・蚊帳の内外
大判錦絵

これは「婦人泊り客図」3枚続と同様のもので、その製作年代もおなじ寛政8年頃であろう。この時代の作品は技巧に優れている。
彫師・摺師と画家・鵜玉の三拍子が完全に揃った時代ではあるが、その精神的内容は全時代に及ばなくなっている。
本文第5章中「婦人泊り客図」を参照してもらいたい。
―――――――――
第42図・浴後の美人
大判錦絵

私(*ゴンクール)は英文「歌麿」に本図を入れるため、松方氏から氏の蒐集中のもの、すなわち、本図を借用したことがある。
不幸にも鏡中の顔が真っ黒でインド人のように見え、美人の頬や手のあたりのお白粉が真っ黒になって鍋済を塗ったようであるのを遺憾とする。
これは薄鼠色のバックへ藍模様の浴衣を着た清艶を極める女性の半身像である。
「青楼七小町」の内、扇屋の瀧川と同系統の作品である。
そして、本図の方が、はるかに瀧川の半身像より いい。
これは、寛政8年頃のものであろう。
―――――――――
(本文・続き)
★第三図 「新造初みえの図」
(*参考図・9)



上級の遊女は花魁(おいらん)と云う。
花魁は禿(*かむろ)と云う二人の小娘を使っている。
禿は、ある年齢に達すると新造になる。
それから、この新造が花魁となるのだが、その時「鉄漿(てっこん)つけ・*初めてお羽黒をつける事)」の儀式が行われる。
それは、結婚した女性だと云うことを意味するのである。
男が金を払って新造に鉄漿をつけさせる覚悟さえあれば、彼は彼女に関係をつけることが出来る。
当時、吉原で この一種の結婚も承認されていた。
こうした新造が他の男から関係を挑まれても、その歯を黒くさせるために金を出した男の承知しない限りは、その希望を承諾することが出来ないのである。
★第四図
「曲中太神楽の図」
(*参考図・10)



第五図「夜見世の図」
(*参考図・11)



「それ倡門(*娼婦を置いて客をとる家) は茶莉花(*ジャスミン)の如しそ、この花芬香 はなはだしく日中に苞(*つつ)み枕上に聞く。
真に媚夜の淫花、酔人の妖草なり。
これや売物に花をかざる吉原の舗つきは、寛文の散茶、伊那の尽三、正英に美麗を尽し、共に著色を競い、艶容を闘わしめ、恰(*あたか)も喜多川の錦絵に魂の入りたる如く云々」と、(*十返舎) 一九は、歌麿に敬意を払うと共に、遊女の夜見世の美観を語り出し、それから心理的描写をもって、彼は遊女の見立てを弁して(*話して)いる。
「周囲の騒々しさを気にせずに本を夢中になって読んでいる遊女がいる。
こういう女と一度親密な間柄になると、客は彼女の気持のよい待遇を喜ぶであらう・・
鼻筋が通って痩形で、愛嬌があって眼のすずしく、俯伏(*うつぶ)して笑いを抑へ、ひやかし男を額越しに見る遊女がある。
これは手取り随一で臨機応変の才気に富んでいる。
・・・著物の旨の手を差し入れ、襟に頤(おとがい・*下あご)をうずめて 時折り空目をつかって 天上を見る遊女がある。
この女は心に苦悩を持つであろう。
こういう女は最初は愉快でないだろうが、段々と馴染が重なって来ると、必ずや
君を怠屈させない。
或は喋ったり或は悪口を吐いたり或は笑ったり、往来の人声や小唄を聞いてきょろきょろと気にする遊女がある。
これは浮気の性質の女で、初会の時から君に打解け話をしてかかるであらう。
・・・店を張りながら手紙を書くのに忙しい遊女がある。
その女を精神的の恋路とにするのは困難だが、君が老人であろうが醜男子であろうが、そんなことを彼女は問題にしないであろう。
君のお金が彼女に対する有力な武器だ。
・・・また鬼灯の根を出したり待人呪の蛙を作ったり、ただ遊ぶことに余念のないような女は、きっと無邪気で、客の思う通りになっているであろう・・・」
★第六図
「仲町花盛りの図」
(*参考図・12)



月暦三月、この仲の町に花の咲いた桜の木を一面に植える。
この賑わしい廓の夕景色は何に替えることが出来ない。
豊国の五枚続「仲町夜桜の図」は、よくその光景を物語っている。
この桜樹の植え付けが、どんなに人の好奇心を唆(そそのか)ったかは、容易に想像される。
仲町が、まるで花の公園だ。
街路とは全く思われない。
一種、即興的な花の林だ。
上級の遊女達は、禿や新造をいくたりも連れて、そこを往来する。
若きも老いたるも一同に彼らに恋視を向ける。
彼らは、この群集の間をこまり抜って歩く。
この夕景色、実に人を魅了するもので、すべてを覆う桜の雪白な花盛りを通して、陽気な青楼の屋根や軒先や、あるいは、艶いた女性の姿が、ちらりと見える。
【訳注】
「今、此のさとに花を植えるは、寛保三年より初まりて、年々に繁栄し、歳々に超過し、日ごとの貴遊湖海の浜、花に酔う仲の町の夕景色は、えもいうべきもあらず。
名所の芳野は人瀬は少妓(しんぞう)の名に奪れ、飛鳥日暮の遊客も、ここに涼められて夜桜の木にうかれ、後朝の花には、巫山の神女が雲かと疑い、夕べに匂う花の香には、李夫人の露はれ出しかと、思う許りの道中姿、是も彼にけをざれ、彼もこれにけをさる風情、寔(まこと)に春宵一刻の値、千金をして此になげうつ銷金の窟というべし」
と、(*十返舎) 一九の文に書いてある。
★第七図
「内證はな見の図」
(*参考図・13)



本図に関して十返舎 一九は、何も書いていない。
これは、青楼の主人が桜見とか、あるいは菊見とかに、外出している留守の間を、遊女達が夢中になって隠坊を遊んでいる図である。
本図に鬼の男に捕えようとして逃げる女性もあり、また腹ばいにころんでいるものもある。
★第八図
「芸者ひろめの図」
(*参考図・14)



本図は、芸者がひろめのため遊女屋を訪問した場面である。
遊女たちは、芸者の容貌風采を こそこそ品評しながら側から、それを眺めている。
芸者がひろめは、団扇子を配るのが例になっている。
団扇の上二彼女の名前が書かれ、また、その 人となり と才能を称賛した言葉も記入されている。
―――――――――
第43図・隅田川の花見船
大判錦絵 三枚続




本三枚続は、歌麿の読み物中、最も出来の優れた作品で、その芸術的価値は、
「鮑取り」に匹敵し得ると思う。
第一に、その構図が簡単であるのが嬉しいと云える。
背景と人物とが、云うに云えない諧調的合一を表現している。
右の一端の一葉に出ている船頭は、歌麿の その後に作った「両国橋上橋下橋の図」に出て来る様子の男で、本図にすでに、その予感があると云うことが出来る。
こういう図を見ると、歌麿の構図丞の手腕は、決して(*鳥居) 清長に劣るものでないと思われる。
本図の製作は、寛政8年代であろう。
―――――――――
(本文・続き)
★第九図
「燈籠の図」
(*参考図・15)



この燈籠祭は真夏に催され、廓の家々で提灯を吊すのである。
その提灯に人を笑わせる漫画が描かれることもある。
★第十図
「仁和嘉の図」
(*参考図・16)



これは吉原の特殊なカーニヴァルで、
廓すべての芸者が男装して諸芸を演じ、
吉原を賑わせる。
次回は、「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 9・第15章 に続きます。
https://kyotoshiryo.seesaa.net/article/202104article_2.html
(図は全て底本・著作権満了のものより)
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● 15章の続き
(本文・続き)
(*「青楼年中行事」第一巻の挿絵)
★第二図 「夜具しき初めの図」
(*参考図・8)(*以下の参考図は、青楼絵抄年中行事. 上之巻
十返舎一九 著、紫屋歌麿<喜多川歌麿>筆。
上総屋忠助、享和4(1804)刊。
著作権満了のものより)
新しい夜具が客から遊女に与えられると、まず、それを贈られたまま茶屋の店で飾るのである。
茶屋ではシングを貰った遊女を招いて、宴を張り祝辞を述べる。
この場合、遊女の家、すなわち青楼の方から茶屋へ最も立派な坂と最上の酒を贈ることになっている。
そして、夜、その寝具は遊女の部屋へ送り届けられるのであるが、この時、遊女はそれを運んだ男にのみでなく、すべての奉公人に祝儀を出すのである。
そして、その寝具を初めて使用する晩には、彼女は家の人々や仲間の遊女に蕎麦を配る習慣もある。
また一方、客の方でも自分と遊女との組み合わされた紋章、すなわち、この翼紋の染め出された手拭いに祝儀をつけて配る義務がある。
それを貰った使用人達は、いわゆる惣花のお礼として、松竹梅の台肴を彼に送ることになっている。
今、惣花と云う言葉を使ったが、洗練された日本の社交界では、金銭の贈物を花と呼んで
いることに注意してほしい。
その当時、遊興する場合に、人々は金銭問題に関して、一種の羞恥心を持っていた。
客が遊女と遊ぶ時、その懐中から金銭を出してはならない。
また、彼は決して遊女から金をせびってはならない。
実際に、この新しい寝具の日のその寝具が贅沢で、派出で、絢爛なものであった時には、客の評判には最も喜ばしいものであった。
「年中行事」の著者は、こう云っている。
「ここに二本に割れる箸を出すと、もう一本を要求する男があるとする。
また、あら煮を膳に出すと、もっと上等なものを出すように要求する男があるとする・・・
こう云う嫌いな虫の好かぬ男でも、贈物次第で遊女の心を得ることが出来るもの・・」
そして、十返舎 一九は、つけ加えている。
「この社会では、相方の外聞をよくすることが最も根本的に必要だ。
であるから費用に構ってはいけない。
「兎角(とかく)あそびは さきの見えを専一とし、たて引諸わけに わるびれず」
やることだ。
男衆にありがたがられるようにし、彼らに時折、「花」をつかませなくてはいけない。」
【訳注】
(*十返舎) 一九 の原文には、こう書いてある。
「理なる哉、
常に割箸の一本を疑い、あら煮の骨斗なりと私言をいいはる客も、此時 通人の称を蒙る。
それは苦界の身を想像して、さきの名聞を償うなれば、いかでか娼妓の其情を思わざんらんや。
是よりして馴染は、愈々 揚屋町の堀抜と共に深く、名は水道尻の火の見櫓(*やぐら)に
従って倍 高くなり行くなれば、兎角(とかく)遊びは、さきの見えを専一とし、たて引諸譯にわるびれず、紋日の札は人よりもさきに かけさせ、折々の惣花には、中郎以下に其客の名を知らること、相方の外聞 猶更なり。」
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第41図・蚊帳の内外大判錦絵
これは「婦人泊り客図」3枚続と同様のもので、その製作年代もおなじ寛政8年頃であろう。この時代の作品は技巧に優れている。
彫師・摺師と画家・鵜玉の三拍子が完全に揃った時代ではあるが、その精神的内容は全時代に及ばなくなっている。
本文第5章中「婦人泊り客図」を参照してもらいたい。
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第42図・浴後の美人大判錦絵
私(*ゴンクール)は英文「歌麿」に本図を入れるため、松方氏から氏の蒐集中のもの、すなわち、本図を借用したことがある。
不幸にも鏡中の顔が真っ黒でインド人のように見え、美人の頬や手のあたりのお白粉が真っ黒になって鍋済を塗ったようであるのを遺憾とする。
これは薄鼠色のバックへ藍模様の浴衣を着た清艶を極める女性の半身像である。
「青楼七小町」の内、扇屋の瀧川と同系統の作品である。
そして、本図の方が、はるかに瀧川の半身像より いい。
これは、寛政8年頃のものであろう。
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(本文・続き)
★第三図 「新造初みえの図」
(*参考図・9)上級の遊女は花魁(おいらん)と云う。
花魁は禿(*かむろ)と云う二人の小娘を使っている。
禿は、ある年齢に達すると新造になる。
それから、この新造が花魁となるのだが、その時「鉄漿(てっこん)つけ・*初めてお羽黒をつける事)」の儀式が行われる。
それは、結婚した女性だと云うことを意味するのである。
男が金を払って新造に鉄漿をつけさせる覚悟さえあれば、彼は彼女に関係をつけることが出来る。
当時、吉原で この一種の結婚も承認されていた。
こうした新造が他の男から関係を挑まれても、その歯を黒くさせるために金を出した男の承知しない限りは、その希望を承諾することが出来ないのである。
★第四図
「曲中太神楽の図」
(*参考図・10)第五図「夜見世の図」
(*参考図・11)「それ倡門(*娼婦を置いて客をとる家) は茶莉花(*ジャスミン)の如しそ、この花芬香 はなはだしく日中に苞(*つつ)み枕上に聞く。
真に媚夜の淫花、酔人の妖草なり。
これや売物に花をかざる吉原の舗つきは、寛文の散茶、伊那の尽三、正英に美麗を尽し、共に著色を競い、艶容を闘わしめ、恰(*あたか)も喜多川の錦絵に魂の入りたる如く云々」と、(*十返舎) 一九は、歌麿に敬意を払うと共に、遊女の夜見世の美観を語り出し、それから心理的描写をもって、彼は遊女の見立てを弁して(*話して)いる。
「周囲の騒々しさを気にせずに本を夢中になって読んでいる遊女がいる。
こういう女と一度親密な間柄になると、客は彼女の気持のよい待遇を喜ぶであらう・・
鼻筋が通って痩形で、愛嬌があって眼のすずしく、俯伏(*うつぶ)して笑いを抑へ、ひやかし男を額越しに見る遊女がある。
これは手取り随一で臨機応変の才気に富んでいる。
・・・著物の旨の手を差し入れ、襟に頤(おとがい・*下あご)をうずめて 時折り空目をつかって 天上を見る遊女がある。
この女は心に苦悩を持つであろう。
こういう女は最初は愉快でないだろうが、段々と馴染が重なって来ると、必ずや
君を怠屈させない。
或は喋ったり或は悪口を吐いたり或は笑ったり、往来の人声や小唄を聞いてきょろきょろと気にする遊女がある。
これは浮気の性質の女で、初会の時から君に打解け話をしてかかるであらう。
・・・店を張りながら手紙を書くのに忙しい遊女がある。
その女を精神的の恋路とにするのは困難だが、君が老人であろうが醜男子であろうが、そんなことを彼女は問題にしないであろう。
君のお金が彼女に対する有力な武器だ。
・・・また鬼灯の根を出したり待人呪の蛙を作ったり、ただ遊ぶことに余念のないような女は、きっと無邪気で、客の思う通りになっているであろう・・・」
★第六図
「仲町花盛りの図」
(*参考図・12)月暦三月、この仲の町に花の咲いた桜の木を一面に植える。
この賑わしい廓の夕景色は何に替えることが出来ない。
豊国の五枚続「仲町夜桜の図」は、よくその光景を物語っている。
この桜樹の植え付けが、どんなに人の好奇心を唆(そそのか)ったかは、容易に想像される。
仲町が、まるで花の公園だ。
街路とは全く思われない。
一種、即興的な花の林だ。
上級の遊女達は、禿や新造をいくたりも連れて、そこを往来する。
若きも老いたるも一同に彼らに恋視を向ける。
彼らは、この群集の間をこまり抜って歩く。
この夕景色、実に人を魅了するもので、すべてを覆う桜の雪白な花盛りを通して、陽気な青楼の屋根や軒先や、あるいは、艶いた女性の姿が、ちらりと見える。
【訳注】
「今、此のさとに花を植えるは、寛保三年より初まりて、年々に繁栄し、歳々に超過し、日ごとの貴遊湖海の浜、花に酔う仲の町の夕景色は、えもいうべきもあらず。
名所の芳野は人瀬は少妓(しんぞう)の名に奪れ、飛鳥日暮の遊客も、ここに涼められて夜桜の木にうかれ、後朝の花には、巫山の神女が雲かと疑い、夕べに匂う花の香には、李夫人の露はれ出しかと、思う許りの道中姿、是も彼にけをざれ、彼もこれにけをさる風情、寔(まこと)に春宵一刻の値、千金をして此になげうつ銷金の窟というべし」
と、(*十返舎) 一九の文に書いてある。
★第七図
「内證はな見の図」
(*参考図・13)本図に関して十返舎 一九は、何も書いていない。
これは、青楼の主人が桜見とか、あるいは菊見とかに、外出している留守の間を、遊女達が夢中になって隠坊を遊んでいる図である。
本図に鬼の男に捕えようとして逃げる女性もあり、また腹ばいにころんでいるものもある。
★第八図
「芸者ひろめの図」
(*参考図・14)本図は、芸者がひろめのため遊女屋を訪問した場面である。
遊女たちは、芸者の容貌風采を こそこそ品評しながら側から、それを眺めている。
芸者がひろめは、団扇子を配るのが例になっている。
団扇の上二彼女の名前が書かれ、また、その 人となり と才能を称賛した言葉も記入されている。
―――――――――
第43図・隅田川の花見船大判錦絵 三枚続
本三枚続は、歌麿の読み物中、最も出来の優れた作品で、その芸術的価値は、
「鮑取り」に匹敵し得ると思う。
第一に、その構図が簡単であるのが嬉しいと云える。
背景と人物とが、云うに云えない諧調的合一を表現している。
右の一端の一葉に出ている船頭は、歌麿の その後に作った「両国橋上橋下橋の図」に出て来る様子の男で、本図にすでに、その予感があると云うことが出来る。
こういう図を見ると、歌麿の構図丞の手腕は、決して(*鳥居) 清長に劣るものでないと思われる。
本図の製作は、寛政8年代であろう。
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(本文・続き)
★第九図
「燈籠の図」
(*参考図・15)この燈籠祭は真夏に催され、廓の家々で提灯を吊すのである。
その提灯に人を笑わせる漫画が描かれることもある。
★第十図
「仁和嘉の図」
(*参考図・16)これは吉原の特殊なカーニヴァルで、
廓すべての芸者が男装して諸芸を演じ、
吉原を賑わせる。
次回は、「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 9・第15章 に続きます。
https://kyotoshiryo.seesaa.net/article/202104article_2.html
京都市内の史蹟を、観光目的を兼ねて歴史を織り混ぜながら、紹介していくものです。
京都市内の史蹟を、観光目的を兼ねて歴史を織り混ぜながら、紹介していくものです。


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