「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 5・ 6-9章

本篇は、
ゴンクール著・歌麿(明治24年、出版)
野口 米次郎 訳(昭和4年、刊行)の底本を、
あくまで趣味的に、現代語訳で読み解くもの
です。
(図は全て底本・著作権満了のものより)

―――――――

● 6章
私は歌麿の続物を語った後に、画帖になっている
6枚、7枚、10枚、12枚、20枚の続物を語りたい。
その揃物のある図は、上記の続物と同じ時代に出版
されたものであるが、その大部分は後になって
作られたものである。

そして、これらの揃物の中には、おそらく大揃物に
おいてより、一層よく日本の女性が表現されている。
その中に彼等を家と小庭の日常生活のなかに描いた
図がある。
彼等が、その唇を金泥で縫っている図がある。
彼等が剃刀でその顔の産毛を剃っている図が
ある。
彼等が両手で帯を結んでいる図がある。
堅気の女性は帯を後方に結び、商売人の女性ならば
それを前で結ぶ・・・
時には、あごにまで手伝わせて、それを結んでいる。
また彼等が絹物を断つとき、その一端を口に咥えて
軽く噛むことが好きらしい。
彼等が角形花瓶に菖蒲を生けている図がある。
彼等が彫刻した銀煙管で喫煙している図がある。
彼等が琴を弾くために指に象牙の爪をぬる図がある。
彼等が懸物をかけ、あるいは絵を描いている図がある。
彼等が短冊に歌を書いている図がある。
彼等がその歌を満開の桜に結んでいる図がある。
彼等が室内で弓を引いている図がある。
彼等が、げらげら笑う阿亀やお多福の面で、その顔を
隠して打ち興じている図がある。

しかし、紙の上で日常生活における日本の女性を
適当な筆で回想することは不可能なことだ。
彼等の挙動や態度を如実に描き出すということは、
云い換えると、彼等の全人種族、すなわち一時代の
全社会を特徴づける表情法をそのまま捕えて、
語るということは、実際に彼等の絶対的な現実の
うちにおいてのみ可能なことである。
そして読者はそこで初めて、彼等の親しい動作の
すべてを知ることが出来るのである。
読者が知るのは、日本の女性が物を考える時には
その手の甲で頭を抑え、あるいは頬杖をつくこと
である。
女性が命令を承る時には、両手を膝にあてて
腰を屈めることである。
口を開くときには、顔面を真直ぐにあげずに
それを側に傾け、横顔の非常に美しい恰好のうちに
彼等自身を表すことである。
また彼等は地面低く眺める花に恋人を思う情を
寄せる女性である。
彼等は二階の欄干に半ば腰掛けながら、密かに
恋心を軽く乱している女性である。
読者が知るのは、読書している女性である。
その女性は、二つ肘を膝に乗せ、本を目の間近かに
寄せて、それを読んでいる。
日本の女性が化粧をする時は、金属性の鏡を片手で
前に持ち上げ、片方の手を後ろへ廻して、その襟首
を撫でるのである。
又、読者が知るのは、彼等が酒杯の縁を手の平で
拭くことである。
塗物や陶器や、その他、小さい芸術的作品の周囲を
彼等が去るに似たような指で、おづおづと触ること
である。
一言で云うと、読者が知るのは日本の女性の優美な
託顔と、畳の上における艶美な姿とである。

歌麿の絵を何百枚も開けて御覧なられるとよい。
どの絵も、どの絵も皆、愛すべき絵ばかりである。
障子の彼方に、かくも私共を魅了する女性の姿を
夢想しながら、それらの版画を眺めなさい。
一人の女性が家の店先で腰を下ろし、開いた両手を
後ろへ廻して体を支え、腰掛の役をする櫃(*ひつ)
の上に一方の足を持ち上げ、他方の足をだらりと
垂らし、彼女の履物は足から脱げて地に落ちている
と云う有様をごらんなさい。
また三味線を持った女性を後に従え、お茶屋へと
道を急ぐ、この美しい芸者を御覧なさい。
また一人の女性は雪でも降りそうな暗夜、
物凄い美しさで星光りする空の下を歩いている。
また二人の若い女性が長々と畳に寝転び、
肘を下につけて、お互いに手を握り合って、
どちらが一方の手を畳につけるか腕相撲をしている
所を御覧なさい。
また二人の女性が内緒話している所を御覧なさい。
彼等は一方の腕を相手の頸(*くび)にかけて、
あいている他方の手と手を祈とうの形に結び
あっている。
なおも御覧なさい。
絶えず御覧なさい・・・

そして、これは華麗な女性達の行列である。
体の丈け以上の長い着物を着て、帯で胴や腰の
周囲をしっかりと巻き、ジェフロア氏の甘い言葉を
借りると、彼等は『サーベルの曲線』を表現
している。
彼等の着物は下へ行けば行くほど大きく広がり、
その足のあたりで浪のように、又、波の打返しの
ように、渦を巻き渦を巻いている。

―――――――
第22図・歌撰び恋之部 逢恋
  大判錦絵 雲母摺
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本図も歌麿の寛政6年度における芸術の勝利を
物語るに足る作品である。
こういう半身像を作った画家も偉大であったが、
それを出版した蔦屋 重三郎に、私共は多大の
感謝を払わねばならない。
本図の美人は嬉しい文に接して逢うと云う歓喜を
幻に浮かべている所を描いたもので、目が丸く
長く引かれて感情が明晰に出ている。
歌麿は、この頃の美人を額が出て頬をふくらみがち
に描いている。
女性の結髪も髷が段々大きくなったと云う流行も
本図において仄(ほの)めいている。
描線は明快にして画面の情味は少しも停滞して
いない。

―――――――

第23図・歌撰び恋之部 物思恋
  大判錦絵 雲母摺
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本図も前図と同様に『歌撰び恋之部』の作品である。
これは、なかなか私共が敬服していい作品で
あると思う・・・
頬杖をついた手の格好と顔との描線上の調和、
それに大胆な線形で描かれた着物の具合、
何一つ欠点がない、と私は感服している。
それから前髪へ自堕落に簪(かんざし)をさした
様子から、この女性の属する階級も想像されて、
本図の構図は、寸分の間隙がない。



● 7章
これら全ての揃物の中で最も私共の目に美しく
映じるものは、『青楼十二刻(とき)』と題する
揃物である。
ヨーロッパの12時に日本の十二刻を直すと、
子の刻は夜の12時、丑の刻は2時、
寅の刻は4時、卯の刻は6時、辰の刻は8時、
巳の刻は10時、午の刻は昼の12時で、
未の刻は2時、甲の刻は4時、酉の刻は6時、
戌の刻は8時、亥の刻は10時 ――
この日本の十二刻を歌麿は優雅な態度で魅惑的な
遊女を借りて表現している。

歌麿は、この揃物における以上に、女性の優美な
挙動を捕えてたことはなかった。
彼は、この揃物以上に繊細な線画を何処にも
描いたことはなかった。
同時に、如何なる美しい着物を描く日本の
画家でも、歌麿の女性のようにアネモネ色の
輝いた着物
・・・これは顕著な歌麿趣味であるが・・・
この着物を着て描き出されては、決していない。
また如何なる場合においても、この歌麿版画以上に
独創的な選択を絹地の着物になした画家はいない。
ここには柔らかな玉虫の色がある。
バラ色と云っても、そのバラ色は殆どバラ色でない
バラ色である。
紗(うすぎぬ)を通してバラ色を眺めた感じである。
紫いろは歯との咽喉(のど)のように美しく
ぼかされた紫色である。
緑色は水色のニュアンスがする緑色である。
青色も青を通した無地の布を見るような感じで、
単なる青味を帯びた青色である。
そしてセリ―全体が何とも形容のない灰色で、
その灰色が遠方から来る強烈な色彩の反映で
幽かに染められているかのように感じられる。

【訳注】
私は、かつて『青楼十二刻』について、
こう書いている。
『御覧なさい、
これらの女性の体は不自然に細長い、あたかも
縮緬(ちりめん)肌の白い雨を両端から引き
のばしたような恰好だ。
また、御覧なさい、
ぞろりとした軽いような 重いような着物は、
その体を離れようとして、しかも離れたくない
と云ったように絡みついている。
これが天下に有名な歌麿の強度感覚美が凝って
女性となったものであろうが、私はそれを
是認することを悲しむものではない。
時には頽廃的芸術の愛人をもって任じることが
ある。
真夜中、官感欲の篝火(かがりび)を焚いて
邪宗の殿堂の祭壇の前で踊りぬくことは
喜ばしいことだ。
私は歌麿の描いたこれらの不思議な多情の
女性達の絵を眺めていると、私の想像の目は
予期した方角から展開して来る世界に接する
ように感じる・・
何を私の目は見るであろうか、
私の眼界に入って来るこの不思議な世界に、
縦に横に、広い黒漆で塗ったようなぴかぴかした
廊下が流れている。
その廊下には右に左に欲望の秘密室が行儀よく
並んでいる・・
そこへ立ち留まっていると、寂寥味と陰湿的
希望が何か語り合っているのを感じる。
私は、ここで聞いてはならない女性の秘密を
立ち聞きしたように戦慄を感じざるを得ない・・
その時、人間の涙が寂しい見事な光を発して
ぽたり、と落ち、それが床の下で鳴くコオロギの
音のようなものを発すると感じる。
私は余り余計なことを語ったようだが、
つまり、私が歌麿の「青楼十二刻」の揃物を
眺めた時の感じは、まず、こんなものである。
それらの女性は、不幸な人間達だ。
バイオリンの糸が、ぽっ、と真ん中から切れた時
発する場合のような痛い声を発する女性達だ。
それらの女子は悲哀のあぶない階段の上で
踊っている女性達だ・・
その舞踊は、物凄いような青い光を音律的に
放つ・・
ああ、奇麗な光の放射だが悲しい見物だ。
私は歌麿にこう云う不思議なものを見せられて
喜んでいいか、悪いかを知らない。
とにかく、彼は私に恐ろしいような嬉しいような
ものを見せてくれた。

―――――――

第24図・歌撰び恋之部 あらはるる恋
  大判錦絵 雲母摺
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本図の芸術的価値は前図(*第23図)に劣らない。
女性が手に持つ団扇の模様や着物の模様は、
いずれも簡単に出来ていて、人間の表情を
純ならしめている。
頭を掻く手の具合も艶に出来ている。
歌麿の逸品中に咥えていい作品である。

―――――――

第25図・風流五葉の松
  大判錦絵 
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本図は、寛政6年の作であろうと思われる。
二人の若い美人が『汐くみ』を踊っている図で
ある。
筆者・歌麿が手一杯に美麗を尽くした作品である。
これを(*鳥居) 清長の『汐くみ』と比較して
みると興味がある。
本図には(*鳥居) 清長の美人に見るような
希蝋彫刻式壮麗な音楽美を見出せないけれども、
歌麿には、また別な芸術美があって人を感動
させるものがある。



● 8章
日本の女性は その着物に対して、生まれつき
色合いを選択する趣味を持っている・・・
それは最も卓絶した 最も芸術的な趣味で、
ヨーロッパ人の淡白な士畿内に持つ趣味とは
雲泥の差があるのである。

日本の女性が着る絹物に求めるところの白さは、
茄子色(緑がかった白色)魚の腹の白さ
(シルヴァー・ホワイト)である。
薔薇色は、薔薇色を帯びた雪白色(淡紅色)
また桃樹の花の雪白色である。
黄色は蜂蜜の色(淡黄)で、
赤色は棗(*なつめ)の実の朱、
恐炎色(赤褐色)、銀味のある灰色(灰赤色)
である。
緑色は茶の緑、蟹の緑、蝦(*えび)の緑、
玉葱(*たまねぎ) の緑、(黄味を帯びた緑)
蓮の若芽の緑(黄味を帯びた淡緑色)である。
色彩家の目に映じて彼等を悩殺する全ての
色彩、すなわち、賞賛すべき色合いを持つ
全ての色を、我々、ヨーロッパ人の間では
中途半端なものだと云って軽視してしまって
いる。

今、もし日本において一人の嫁の支度に、
華麗な十二枚の着物を整えるとするならば、
第一番目に、ジャスミンと竹の幹や茎が
刺繍してある青色の着物一着、
二番目として桜花の散らばっている海緑色
の着物一着、
三番目として柳の枝で飾っている薄赤色の
着物一着、
四番目として杜鵑(*ホトトギス)
(結婚の良縁を暗示する鳥)が描かれているか
あるいは刺繍されている鼠色の着物一着、
五番目として菖蒲の葉、あるいは水生植物に
掩(おお)われた無光沢の着物一着、
六番目として水気の多い瓜の刺繍された
オレンジ色の着物・・・ これはこの時、
雨季が始まり その瓜が熟しかけると云う意味で
ある。
七月の着物として紫色鈴形の花の、まばらに
ある白衣・・・ その根は食用に適し海燕の巣の
ような味である。
八月の着物としては ミモサ、あるいは日本の
梅の葉がまき散らされた赤色の着物、
九月の着物としては菊花で飾られた菫色
(*すみれいろ) の着物、
十月の着物としては小道の付いた収穫時の畑が
描かれているオリーブ色の着物、
十一月の着物としては氷を暗示した図案の刺繍
されている黒衣。
十二月の着物としては厳冬を表す象形文字で
充されている真紅色の着物 ―――
以上挙げた十二着の着物が裕福な娘の調度の
なかにあることは、フレシネ氏著
『現代日本』の中で確信されているのである。
立派な一人前の遊女となると、いくらも贅沢な
特有の着物を沢山の箪笥に入れて持っている。
歌麿は、それを吉原遊女の着物部屋の中へ
描いたのである。

ところで歌麿は菫(*すみれ) 色の着物を描いて
いるが、下着になるに従って淡紅色に変化
している。
この菫色の着物に鳥が花の咲いた樹木の枝に
飛んでいる。
そして、それにまた虫のような『いろは』文字が
白で、でこぼこと織り込まれている。
さらに又、それに恐ろしい朝鮮獅子の寝そべった
所が描いてあって、その色は古いブロンズである。
彼の紫色の着物には、青茎の上に白菖蒲が薄鯖色
に染められた部分に浮かんでいる。
彼の青い着物には青縞があって、それは支那で
雨後の空色と称しているもので、淡い薔薇色の
大きな牡丹が上に描かれている。
彼の灰色の着物には白っぽい雑木の細枝で玉飾り
のような感じのする枝が感じさせられる。
私共は これを見ると、これは彫刻を真似た鼠色
の装飾画のような着物だ、と感じさせられる。
――― それから豌豆(*えんどう)緑の着物は、
薔薇色の桜の花で飾られている。
緑の着物は無色の水色で、皇室の紋章である
桐の花で かげ模様になっている。
その花に紫色の茎があって三つの大きな葉は白い。
――― 緋紅色の着物には水の流れが描かれ、
その裾模様に鴛鴦(*おしどり) が浮かんでいる。
――― 鹿子褐色の着物には藤の花が垂れ
下がっている。
――― 黒衣の着物は白で菊 あるいは松の落葉が
刺繍されている。
又、ある黒衣に雪に覆われた鎗形の南米植物の葉が
描かれ、あるいはスパルト製の籠が屏風や笏
(しゃく)と一緒に描いてあるのもある。
――― これらの着物に紋章の鶴が付いている。
籠に似た格子から逃げる歳、
扇にまじる希臘紋、
支那墨で描かれた達磨の頭、
十文字形に組合わされた小さい花束、
これらが歌麿の得意とする着物のデザインである。
そして彼は、これらの着物を着せて好ましい女性
の肖像を描くのである。
生けるも死せるも自然の存在のすべてが彼の構図
に取入れられていて、これらを『絵画の着物』と
称する価値が十分にある。

また私共の忘れてならない麗しい明るい着物
がある。
それは白地の上に、あらゆる色で人手貝模様が
染め出されているものを云うのである。
中に漠然とした薔薇色で喪湯が絞ってあるものも
あって、この方法で日本人は、布や漆器の表面に
緋に染められ、日没の雲を表わし、空色の鳥を
それに あしらうのである。

上記のような着物の上に、歌麿は暗い色の帯を
置き、その帯は時には緑色であるが、彼は
古い黄金色の模様を付ける。
その調子は、古い色の布と密接な関係を持たねば
ならない。
日本で山鳩色と云われる一種の緑が帯には珍重
されている。

そして日本では明るい調子は、子供の着物にのみ
限られている。
歌麿がその絵画で豊富な品位のある構図を作った
ため、時の呉服製造者は、しつこい光、すなわち
『派手な賤民』と遠ざかる注意と技巧を生むに
至ったのである。
彼が蝶々で くすんだ着物を飾る時、
なまなました色の蝶の代わりに、黄色がかった
灰褐色の蝶を描いて、その地色と調和するように
した。
彼が牡丹を着物に飾る時、彼は決して単調な一色
を選ばなかった。
しかも、その白を緋色がかったもので緩和させた。
最期に彼が唐草模様で着物を飾る時、
装飾のごてごてした装飾の硬さを中間書の地色で
消すように工夫した。
そして常に彼は、構図に地味な清楚を与える
ことにした。
彼が着物に何か小さい草花を撒布したのは、
女性が花の咲いた樹下を散策する場合に、
袖の皺(しわ)に、あるいは方の上に落ちた花弁
に相、似たものがあることを感じさせるためで
あった。

――――――――

第26図・當世踊子揃 吉原雀
  大判錦絵 雲母摺
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本図の踊子は、鼠がかった紅地の着物を身に
纏(*まと) って、頭に淡青色の沙帽子を被り、
手に持った踊り扇子の牡丹は薄紅色である。
これは又、夢のように淡雅な感じを私共に
与える逸品である。
ここに描かれている幻のような踊子に
相応しい色をしている。
吉原雀とは、葦のなかに囀(*さえず)る
功徳の放生会(ほう助絵・*生き物を野に放す
こと)とて鳥かごを肩に鳥売と鷹の精が
素見ぞめき(*すけんぞめき・遊里を冷やかして、
うろつく こと。)を押し分けての所作事である。

―――――

第27図・當世踊子揃 鷲娘
  大判錦絵 雲母摺
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宝暦12年に市村座の舞台で長唄を使って
瀬川 菊之丞が鷲娘の所作事を踊って以来、
浮世絵の題目となり、鈴木 晴信は、それを
さまざまに描いている。
恋の妾執(*もうしゅう・ある特定の考えに
囚われてしまう)が、雲のように覆った
朧夜(おほろよ)に女性の怨霊が白鷺と
なって踊る所作事であるが、
本図のように美麗では幽怪味が薄い。
しかし、これは當世(*当世)の踊子だ・・・
恋の妾執が奇麗な花帽子をかぶった美人と
化けて舞台に美の表象となり、
諧音のリズムを響かせる。
本図の美は前図に劣らない。
衣装に散らし梅を波模様に配した図案は
いい。



● 9章
遊女の異なった態度を朝、昼、夕方、
夜の12時間で表した『青楼十二刻』を別に
して、私が最も完全と思える遊女の揃物は
『名取酒六家選』であろう。
これは独創的な揃物の作品で、そのいずれにも
薦被(*こもかぶ)り、酒樽が絵の上方に
描かれている。
酒樽の表面には酒屋の記号が墨で描かれ、
その左の上には花の小枝が添えてあり、
また右の上には朱塗りの盃が描かれている。
そして、その下に1798年頃(寛政10年頃)の
吉原の美人が踊っているのである。

一言で云うと、私は如何なる図においても、
これらに比較し得るような優美な衰頽気分の
版画を知らない。
日本における色彩法について云うと、
筆を洗った筆洗いの中に残った色で彩色した
ように見えるのである。
その色彩は所謂、色彩でなくて、ただ色彩を
偲ばせる雲と云った方が信実であるであろう。
そして、これら6人の遊女は、非常に優美な
調色で彩られて、緋色の敷物が黄色の畳の上
から浮き出ている。

さらに又、もう一つの美しい揃物は、歌麿が
浪人伝を解釈している所のもので、
彼は次のように云っている。
『公にされない豪胆な武士の勇気ある高潔な
行為は、星一つも煌(かがや)いてはいない暗夜
にも比較される。』
優美な女性によって全てを表現せんとする
比喩的な歌麿の性質は、47人の浪士を
最も美しき美人画12枚で浮世化している・・
すなわち『高名美人見立忠臣蔵』の揃物が
それだ。
これらの版画の賑やかな集まりの中に、
美人の優しい群がりのうちに、彼等の黒い
着物が殆ど劇的な力をもって明るい画面の
中に描かれている。

最後に私は六歌仙に似せた子供らを
引用しよう・・・
『當世子供六家撰』の揃物を云うのである。
これは暗い弱い色の六枚揃物で、
その橄欖色(かんらんしょく・*オリーブ色)
がかった緑色などは、17世紀前半
ルイ13世時代の織物が求めた色彩と
幾分の関係ある、と云える。
その次には『高名美人六家撰』『六玉川』・・
玉川の六風景が画面に描いてある。
『五節句』『実競色の美名家見』等々。
また色刷版画の揃物の中で、
『四十七士』からヒントをとっている第二
第三の構成組物があることを忘れては
ならない。
その他、有名な揃物に絹の生産、すなわち、
蚕を飼う場面を取扱ったものがある。
それは『女職蚕手技草』のことであるが、
『青楼十二刻』や『名取酒六家選』に比較
すると、その価値は劣っている。
しかし、日本においては非常に有名なる
セリーである。

―――――――

第28図・おひさの半身像
  大判錦絵
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本半身像は、天明7・8年頃出た
『小伊勢屋おちゑ』のような大判半身像に
近い芸術的価値を持っている。
いわゆる、歌麿式と世に云われる濃艶な姿は
ないが、これも歌麿の傑作の内に入るべき
ものである。
彼の三枚続には描線が徒に複雑で弱い所が
あるが、本来、半身像の描線は必ずしも
強いのでないが、少しも乱れていない。
彼がこう云う簡潔明快な半身像を描くに
おいては、人の知らない所の苦心を要する
ものである。
歌麿は芸術的細心の努力を注いで本図の
布置経営をしたと思われる。
これなど、彼が おひさを描いた作品中の
最も私共を感服させる作である。
本図の製作は寛政6年頃であろう。

【訳注】
『高名美人六家撰』は図の上部に
『絵判じ』の入った揃物を云うのであろう。
このなかに例によって、難波屋お北の給仕姿も
入っている。
なつば二つに矢で難波屋と読ませ、沖に田を
描いて『おきた』と利かしている。
しかし、この図の芸術的価値は どうかと云うに、
歌麿は、もっとこれより出来のいい お北の
半身像を描いている。
その図には気品より艶麗の感が多い。
お北が手に持つ盆は、紅で茶碗に
お北の紋所が出ている。
襟は赤味がかった紫色で着物は代赭色
(たいしゃいろ・*褐色を帯びた黄色または
赤色)の千筋模様、眼のあたりに ほんのりと
薄紅がさしてある。

『六玉川』を題材とした揃物は幾通りもある。
ゴンクールは、どの揃物を意味するか不明
であるが、作の早い『六玉川』の方が古雅優美
に出来ている。
ところで、私の早い方の『六玉川』とは、
雛鶴や花扇が題材となっている揃物を
云うのである。
『雛鶴』の方には『玉河しろく 八朔の衣桁』
云々の歌に ちなんで、襠(*うちかけ)を
衣桁(いこう・*室内で衣類などを掛けておく
道具。) にかけ、垣根に見立てている。
この襠には裾模様に玉河の清流に砧(*きぬた)
や布が配してある。
それから『花扇』の方は、
歌に『山吹きの こがねを風に 散しぬる』
云々とあるから、遊女花扇は山吹を花瓶に
生けようとしているところである。
この『六玉川』揃物は寛政4年頃の作で
あって、構図が親切懇篤に出来ている。
女性の姿態が細く花車に描いてあって、
むしろ(*鳥文斎)栄之の美人に近いと云う
感じがある。
*鳥文斎 栄之(ちょうぶんさい えいし)は、
江戸期後半の浮世絵師、旗本。
姓は細田、名は時富。
俗称は民之丞、後に弥三郎。鳥文斎と号す。

それから寛政5・6年頃出版された『六玉川』
揃物に、表題の側に玉川の風景が入っている
ものがある。
この揃物で私の良いと思うのは、
『六玉川の内高野』で
『忘れても 汲みやしつらん』の高野の歌を
棙(*ねじ)って
『毒の玉川と おもへども わすれては又
漕ぎひるる さんや堀 哉』の狂歌となり、
荒野さんの小さい図を入れている。
この図で おもしろい点は、人物の肉体を
赤線で描いているので、艶な感じを人に
与える。
歌麿は以前に『婦人相十品』の内、
煙管を持つ女性におけるように、
これも煙草の煙を吹いている図である。
つまり彼は以前、この構図で成功したので
ここでも、それを繰り返したのである。

―――――――

第29図・炊事場の景
  大判錦絵 二枚続
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本図は、別々に見た方がいい。
二枚を合わせてみると構図が纏(まと)まり
過ぎて、竃や手桶が中央に出しゃばり、
その側の人物が浮き出ない。

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しかし、一枚一枚に見ると人物が図の主要部
にあって、着物の線や模様が見えて来る。
ことに右の方が はるかに立派で、
立っている女性の顔付き その手の描法など
さすがは歌麿だと感じられる。
左の一枚に子供を入れて人情美を添えたのも
炊事場の景として面白い。

――――――――

「ゴンクールの歌麿」を読んで観る 6
に続く。

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