京都史蹟散策109・八橋検校ゆかりの地

京都史蹟散策109・八橋検校ゆかりの地

●八橋検校 道場の跡

【位置】下京区室町通綾小路上る西側
【交通】地下鉄烏丸線・四条。徒歩5分。

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【石碑】
(表面)この
     あたり 八橋検校 道場の跡
(裏面)井筒八ツ橋本舗
       平成二十年六月建之
    ウライ株式会社

説明板によると・・
このあたりは、
筝曲「八橋流(後の生田流・山田流)」の
創始者として、近代筝曲の祖といわれる
八橋検校(慶長19年~貞亨2年)の道場が
あった旧跡です。

三絃の名手、八橋検校は二十歳頃より、
筑紫筝を学び二十六歳で当道の最高位「検校」
につき、晩年をこの場所で筝曲家として、
筝と三絃の道場を開きました。

平調子といわれる新しい憂いを含んだ響きの
音階を考案し、その代表作品として、
「八橋の十三組」「六段の調べ」「八段の調べ」を
作曲し、今も名曲として引き継がれています。
目の不自由な八橋検校と耳の不自由な
ベートーベンの名曲は、洋の東西を問わず
不滅の光を放っています。

八橋検校は、この道場で数多くの門人を養成し、
武家や町衆はもちろんのこと、島原を始め
鴨東の花街に筝と三絃を広め、その感動は
今につながっています。
           と、ある。

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●八橋検校の菩提寺
金戒光明寺・常光院

【位置】左京区黒谷町
【交通】市バス・岡崎道。徒歩、約7分。
金戒光明寺・山門、東側。

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【石碑】箏曲開祖 八はしてら

6月12日の八橋忌には、箏の演奏が奉納される。

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●八橋検校の碑

金戒光明寺
【位置】左京区黒谷町
【交通】市バス・岡崎道。徒歩、約7分。

金戒光明寺・三重塔(文殊塔)、東側にある。

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【石碑】八橋儉校ノ碑
八橋儉校ハ慶長十九年陸奥
岩城二生ル年少江戸二出テ
三絃ノ技二名アリ偶マ筑紫
筝ノ数曲ヲ學ビ眞諦二組セ
ントスル念止ムべカラズ奮
励艱苦ヲ冒シテ九州二下リ
終二ソノ奥義ヲ極ム業成ツ
テ京都に歸リ住ムヤ古典ノ
神韻二尚創意ヲ潤飾ヲ加へ
テ組唄十三曲ヲ作ル律格調
和ヲ愛スル生来ノ好尚ト情
二厚ク感性二敏カリシ天稟
ノ鋭トテソコ二併セテ古典
創作ノ大業ヲ新時代ノ意義
二於テ完成シ近世筝曲ノ開
祖トシテ世ノ尊崇ヲ受ク俊
髦ソノ門二集リ以後同流全
国二普及シテ今日ノ盛運ヲ
見タリ昭和九年第二百五十
年忌二際シ全国思慕ノ同志
塋域黒谷金戒光明寺内二碑
ヲ建テ後進邦楽家ノ上二及
ンコト二朝シテ厚ク儉校ノ
霊ヲ祀リソノ偉功ヲ稱揚ス
 文學博士 太宰施門 撰文
 大僧正  郁芳隨圓
大日本筝曲會聯盟

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(意訳)
八橋検校の碑
八橋検校は、慶長19年(1614年)、
陸奥・岩城に生まれる。
年少にして江戸に出て三絃の技で名をあげ、
たまたま筑紫の筝の数曲を学び、
真剣に取り組もうとする気持ちを抑えきれず、
奮闘、艱難辛苦を乗り越えて九州に下り、
遂に、その奥義を窮める。
業、成って京都に帰り住むと、古典の神髄に、
なお創意、潤飾を加えて、組唄十三曲を作る。
その律は、格調高く、和を愛する。
(君は)生まれつき情に厚く、感性に敏感で、
天性の鋭さをそこに合わせて、
古典創作の大業を新時代の意義において完成し、
近世筝曲の開祖として世の尊崇を受ける。
(君の)俊才に、門下が集り、以後、同流が
全国に普及して今日の盛運が見られる。
昭和9年、第250年忌に際し、
全国思慕の同志が墓地・黒谷金戒光明寺内に
碑を建て、後進の邦楽家の上に及ばんことを
願って、厚く検校の霊を祀り、その偉功を
称賛する。
 文学博士 太宰施門【1】 撰文
 大僧正  郁芳隨圓【2】
大日本筝曲会連盟

【1】太宰施門(だざい せもん)
フランス文学者。京都大学名誉教授。
昭和20年、勲二等瑞宝章。昭和24年、退官。
昭和49年、歿。85歳。

【2】郁芳随円 (いくほう ずいえん)
浄土宗総本山・知恩院81代門主。
昭和25年、歿。81歳。

●八橋検校の墓碑
八橋検校の碑、の左側(北側)にある。

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(この編・了)

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