京都史蹟散策 7 坂本龍馬妻お龍寓居跡
京都史蹟散策 7 坂本龍馬妻お龍寓居跡
【交通】京阪本線・三条京阪
【位置】木屋町三条下る、車屋橋ほぼ正面、都会館1F
此付近 坂本龍馬妻 お龍 独身時代 寓居跡
此付近 京都府知事中井弘 幕末期 寓居跡
二〇〇九年三月特定非営利活動法人 京都龍馬会 建之
説明板パネルによると・・・
坂本龍馬の妻となるお龍(鞆{1})は、青蓮院宮に仕える
医師 楢崎将作{1}・貞の長女でした。
京都柳馬場三条下ル東側に住んでいましたが、
文久2年(1862)6月20日、不幸がおきます。父の死去です。
このため母・妹・弟をふくむ6人の遺族は困窮し、「京都の木屋町」
もしくは「四条、うら通りの借家」に移住します。
こののち一家は離散し、お龍(鞆)は単身七条新地の扇岩なる店
に入ります。
母と妹君江は、洛東大仏南門前(現東山区本瓦町付近)の
河原屋五兵衛{2}(五郎兵衛{3}) 隠居所の土佐亡命志士の居所に
住み込みで働きました。
その縁で龍馬とお龍(鞆)は出会うことになります。
木屋町の住居は、その直前まで住んでいた地として無視できません。
というのも、龍馬の書翰に記載されたお龍(鞆)の個性を知る
エピソードに、妹光枝が悪い輩{5}にだまされて大坂の遊郭に連れて
行かれたが、彼女が単身乗り込み、ついに連れ戻すというものが
あります。
それが木屋町時代のことです。
正確な位置は不明ですが、龍馬が
「まことにおもしろき女」と愛したお龍(鞆)のゆかりの地として、
ここ木屋町通に建碑するものです。
なお龍馬やその終焉地の主人近江屋新助とも交流のあった、
滋賀県知事や京都府知事を歴任する中井弘{6}も、
中井弘蔵や田中幸助と名乗った幕末当時、木屋町の
近江屋喜一郎の2階に寄宿していました。
あわせて顕彰します。
歴史地理研究者 中村武生
【読み方】
{1} 鞆 とも
{2} 楢崎将作 ならざき しょうさく
{3} 河原屋五兵衛 かわらや ごへい
{4} 五郎兵衛 ころへえ
{5} 輩 やから
{6} 中井弘 なかい ひろむ
石標
石標から西、河原町通方面を見ています。
【交通】京阪本線・三条京阪
【位置】木屋町三条下る、車屋橋ほぼ正面、都会館1F
此付近 坂本龍馬妻 お龍 独身時代 寓居跡
此付近 京都府知事中井弘 幕末期 寓居跡
二〇〇九年三月特定非営利活動法人 京都龍馬会 建之
説明板パネルによると・・・
坂本龍馬の妻となるお龍(鞆{1})は、青蓮院宮に仕える
医師 楢崎将作{1}・貞の長女でした。
京都柳馬場三条下ル東側に住んでいましたが、
文久2年(1862)6月20日、不幸がおきます。父の死去です。
このため母・妹・弟をふくむ6人の遺族は困窮し、「京都の木屋町」
もしくは「四条、うら通りの借家」に移住します。
こののち一家は離散し、お龍(鞆)は単身七条新地の扇岩なる店
に入ります。
母と妹君江は、洛東大仏南門前(現東山区本瓦町付近)の
河原屋五兵衛{2}(五郎兵衛{3}) 隠居所の土佐亡命志士の居所に
住み込みで働きました。
その縁で龍馬とお龍(鞆)は出会うことになります。
木屋町の住居は、その直前まで住んでいた地として無視できません。
というのも、龍馬の書翰に記載されたお龍(鞆)の個性を知る
エピソードに、妹光枝が悪い輩{5}にだまされて大坂の遊郭に連れて
行かれたが、彼女が単身乗り込み、ついに連れ戻すというものが
あります。
それが木屋町時代のことです。
正確な位置は不明ですが、龍馬が
「まことにおもしろき女」と愛したお龍(鞆)のゆかりの地として、
ここ木屋町通に建碑するものです。
なお龍馬やその終焉地の主人近江屋新助とも交流のあった、
滋賀県知事や京都府知事を歴任する中井弘{6}も、
中井弘蔵や田中幸助と名乗った幕末当時、木屋町の
近江屋喜一郎の2階に寄宿していました。
あわせて顕彰します。
歴史地理研究者 中村武生
【読み方】
{1} 鞆 とも
{2} 楢崎将作 ならざき しょうさく
{3} 河原屋五兵衛 かわらや ごへい
{4} 五郎兵衛 ころへえ
{5} 輩 やから
{6} 中井弘 なかい ひろむ
石標
石標から西、河原町通方面を見ています。
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